努力信仰主義はやめよう

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ビジネス・マーケティング
努力信仰主義というのがあります。やっているんですけど、頑張ってはいるのです
そんな声を聴くこともたたあります。
各いう自分も努力信仰主義者でした。
今くいかなかったときも、しっかり見たんですけどとか、一生懸命やってるんですけどなど
言い訳にならない言い訳をしていました。
そんな努力信仰主義の弊害を3つ挙げてみます
①結局結果が出ない
努力をアピールするというのは結果が出ていない証拠です
本来であれば、「結果を得るために努力しているので」結果が出ていない以上
改善の必要があるのです。
努力しているをアピールしてしまうと得体結果がぼやけてしまい、自己満足に陥りがちです
結果を得るための努力ということを肝に銘じておきましょう
②努力量を測れなくなる
目的のための努力がぶれると努力量がわからなくなります。
頑張っているが大事になってしまい、目的を達成するためにどのぐらい努力をすればいいのか不明になります。
ある資格を取るために100時間の勉強が必要だとすると、100日で試験なら毎日1時間の努力が必要になります。
基準がないと、今日は2時間頑張った、30分やった、やらなかったなど定量で測れなくなってしまいます。
③努力神話にすがってしまう。
第二次世界大戦で日本は特攻隊を組織しました。
これがまさに努力神話だと思っています。
頑張れば、必死になればなんとかなる。
その当時の勝算は「神風が吹く」でした。
今の日本で景気がバブルの時ほど良くなると期待しているぐらい無謀なことだと思います。
笑っちゃうぐらいの話ですが、年配の経営者の方で神風を期待している人は少なくないです。
そんな人もさぼっているわけではなく毎日努力しています。
年配の方なら人生逃げ切ることも可能でしょうが
自分の年代だと人生逃げ切るにはまだ長すぎます
努力は道具です。
道具は使い方が大事です。包丁だって正しく使えばおいしい料理を作れますが、使い方を間違えれば人を傷つけます。
努力も自分の目標、やりたいことを達成するための道具です。
正しい使い方をして人生豊かに過ごしたいですね。
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