我が家の「津波対策」 (2020年4月)

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コラム
昨日政府の内閣府から東日本の「太平洋沿岸地震予測」なるものが発表された。内閣府内に設けられた「有識者専門家会議」の公式見解だという。
その予測は「千島・日本海溝沿い」が対象エリアということで、私の住む北海道道東地域はど真ん中のストライクで該当したのであった。

そこで今朝さっそくその結果を伝える新聞諸紙を買い集めて、情報収集に努めたところである。
「同予測」のうち「千島海溝地震予測」が私達の生活に直結し、「日本海溝」のほうは本州の東北エリアが該当するようである。

「日本海溝」といっても日本海側を指すのではなく、太平洋側の「日本海溝」という海溝の場所だということであった。
要するに9年前の「東日本大地震」の発生エリアである。

しかも今回の「地震予測」は、数十年単位の将来の話ではなく何時起きてもおかしくない切迫した、喫緊の事であるという。
即ち、このコロナ禍のさなかであっても何時起きてもおかしくない、という予測結果であるという。

この事態は太平洋沿岸から3㎞ほどしか離れていない我が家にとっては、決して他人事ではないのである。で、さっそく私は情報収集に走ったわけである。
その報道各紙を熟読した結果知り得たのが、下記の概要であった。

即ち、
私の棲む北海の道東大樹町は、「震度予測は6強」「津波の高さは22m」町の中心部への「到達時間は37分」だというのである。

この前提条件はいずれも「最大値の場合」でしかも「満潮時」ということで、「最悪の事態を想定して」ということであるから、これらのうちの一つでも条件が変われば、事態はずっと穏やかなものとなるという。

とはいえ「備えあれば憂い無し」であるから、甘い見通しを前提にするのではなく、最悪の事態を前提に備えなくてはならない。
何しろ命に直結する問題だからである。
さもないと9年前の「福島の原発事故」の二の舞になってしまう。東電のように都合の良い解釈だと、命にかかわってしまうのである。

それに我が家は、家の前を走る海抜24mの「北海道道」より、1m近く下がった場所に在ることから、海抜23m程度の敷地に立地していることに成る。
また海からの距離が町の中心部は12・3㎞なのに対し我が家は3㎞ほどの距離である点を考えると、津波の到達時間は中心部よりずっと早く、地震発生から10分以内には津波が到達するのかもしれないのである。
建物が二階建てとはいえ木造住宅である点を考えれば、津波の強力な吸引力には到底耐えられ無いことが予測されるのだ。

したがってこの最大規模の津波に我が家はさらわれて、海の藻屑となってしまう可能性が高いのである。
といったようなことが事前のシミュレーションで想定出来得るのである。
地震源.jpg

であるとすれば震度6強の地震が発生した時、私と家人はすぐにでも家を出て4・500m先の鉄筋コンクリート二階建ての公共施設の屋上(8m前後か?)に向かうか、余裕があれば7・800mほど先の高台(海抜50m)に向かうか、しなければ命は助からないことになる。
そしてそのためには常日頃から、いつ震度6強の地震が発生してもよいように持参物の備えを事前に整えておく必要が出てくる。

といった事を考えて、今日は情報収集を終えた後に早速、リュックや持ち運び可能なバッグに生活必需品や、数少ない貴重品を整理して納めておいた。「事前準備その1」なのである。

更なる備えとして、いかにして地震の発生を早めに察知するかが、課題となる。もちろん可能ならば、である。とても難しい課題である。ほとんど神様の領域である。
しかし地震の予知は可能であれば大事なことなので、検討してみたのである。

そこで私たちは、天変地異に対して動物たちが非常に敏感で、どうやら予知能力があるらしい、ということを思い出した。
数年前の「インドネシア」だか「スリランカ」での事例を思い出したのだ。
あの時は地震が発生する前から、野生の動物たちがしきりに山に向かって移動を始めた、といったニュースを報じていた事を思い出したのである。
そこで野生の動物たちの挙動はもちろんのこと、我が家の老犬や近所で飼っている沢山の牛たちが発すると思われる、鳴き声や叫び声・嬌声、さらには異常を知らせるアクションにアンテナを張っておく、といったことを心掛けることにした。
今日、食事をしながら家人とその事を確認したところである。
これは「事前準備その2」かつ「共通意識その1」である。

更には万が一離れ離れになった場合を想定して、その際の集合場所を取り決めておいたのである。
またその際の通信手段としては、緊急時の通信手段として開発された「LINE」を有効に使うことも確認しあった次第である。

因みに「LINE」は9年前の東日本大震災を教訓に開発された「大災害時に有効な通信アプリ」という事だから、こういう時にこそ本領を発揮するはず、なのである。「共通意識その2」である。
とりあえずここまで家人と話し合って、我が家の津波対策は決まりほぼ終了したのであった。

あとは我々が生きているであろう今後20年近くの間は、大きな津波を伴う大地震が満潮時に発生しないことを、地震の神様に対してお頼みしよう、ということになって、家族会議は終了したのであった。

因みにその神様とはかつて私が『大野土佐日記』にも書いておいた、天変地異を鎮める神様、「別雷神」を祭る上賀茂神社、ということになった。
そして今度京都に行った時に上賀茂神社に寄って、お願いしてこようということに成ったのである。

上賀茂神社3.jpg

鎌倉時代の道南知内では修験者大野了徳院が使者になって、京都の上賀茂神社に赴き「別雷」の神様を勧進してきたという。
その分霊に依って今の「雷公神社」を建立したという事であったが、私はそこまでの事はしない。
せいぜい神棚に飾るお札を購入するくらいであろうか・・。

これぞ困ったときの神頼みである。

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