渋谷駅前開発、雑感

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コラム
今月のはじめに久しぶりに渋谷の街を訪れた。6・7年振りであろうか。
京都で4年振りの大学のクラス会があって、その後次回作のための取材を兼ねて琵琶湖周辺に滞在してから、北海道に帰る途中、直帰せず関東に足を延ばし、渋谷を訪れたのであった。

というのもかつて一緒に仕事をしたビジネスパートナーが、大手不動産デベロッパーのCEOに就任していたことが判明し、渋谷の街が懐かしくなったからであった。
朝のTVニュース番組で、渋谷駅前の再開発についてアナウンサーのインタビューに答えていた彼は、年相応に老けていた。
髪の毛には白髪が混じり、かつて若いイケメンだった彼も眉毛は少なくなり、それなりに老けて見えた。
彼もすでに還暦前後になっているはずであった。

私が彼と6・7か月の間取り掛かっていたプロジェクトがあったのは、今から35・6年近く前のことだったから、当時の好青年が歳を重ねていたのは当然の事で、その事に大きな驚きがあったわけではなかった。
私は彼が活躍している姿を30年ぶりに確認したのと同時に、40年近く前に彼の所属する会社が所有していた、渋谷駅前の商業系複合施設の大規模リニューアルの一端を担っていたこともあって、渋谷には少なからぬ思い入れがあった。

更にその商業施設の建て替えが「渋谷駅前再開発事業」の一環として、今から3・4年前に行われたこともあって、建て替えられた爾後の駅前複合ビルを見ておきたい、との思いが募って渋谷の街を訪れたのであった。
2019年の12月に開業した「新しい再開発ビル”フクラス”」内の「渋谷東急プラザ」についての感想は、一言で言えば「残念な再開発ビル」であった。
ビル自体は新しくなり、今日的でシャープな形状にと新しく生まれ変わった駅前複合型商業ビル、である点は間違いないのであったが、決してそれ以上ではなかった。

渋谷駅前の商業ビルとしての「わくわく感」や「期待感」等を、殆ど感じることが出来なかったのが何よりも残念な事であった。
そしてそれ以上に物足りなく感じたのは、新しく生まれ変わったビルと渋谷という街区との融合感が、伝わってこなかった点であった。
私には渋谷駅前という立地に出来た、単なる「新築ビル」という印象しかなかったのだ。

渋谷東急プラザ2.jpg
           令和の「渋谷東急プラザ」

今から40年近く前に私が携わった、昭和末期の「渋谷東急プラザ」のリニューアルコンセプトは、かなりクリアなもので常に当時の渋谷駅周辺街区の事を意識していたのだが、そういった視点が今回の「建て替えビル」には、残念ながら感じられなかった。

当時の渋谷駅前は、渋谷駅からNHKに向かうエリアを西武セゾングループが、「公園通り」と名付け、「西武百貨店」や「パルコ」を中心とした西武流通Gが開発していて、「新しい渋谷」を創っていた真っ最中であった。
そんなこともあって私達の計画には、それへの対抗意識があった。

その際私達が設定した開発コンセプトは、「西武セゾングループへのカウンター」を意識した、商業施設の開発であった。
具体的には、彼らが意識する「ヤング~ヤングアダルト」層をメインターゲットとした「パルコ」や、「アーバンライフ指向の40代前後のミッシー・ミセス」層をターゲットとした「西武百貨店」への、カウンター商業施設の構築だった。

その時私達の狙った主たるターゲット層は「50代以降のミセス層」であり、必ずしも流行に敏感とは言えない「コンサバティブ志向」の女性たちであった。
更に渋谷のオフィス街で働くサラリーマン層や、流行やファッションに縁遠い男子学生、当該施設の周囲で営業する飲食店とその従事者といった、渋谷に生活拠点があり街を行き来する「男たち」という事に成った。

これらのターゲット層に受け入れられる商業施設であって、「公園通り」を中心とした西武セゾングループの流れには乗らない(乗れない?)取り残された「サイレントマジョリティー」の行き場や、時間消費空間を創ることを目指した。

そのために行った具体的なプランは
➀.商業施設の上層階に「流行に惑わされない男たちの居場所」を創る。
 当時渋谷で一番大きな「書店(300坪程度)」を確保し、周辺に「文具・ステーショナリー」「CD・レコード」「ゴルフ等スポーツ用品」+まとまった面積の「紳士服/メンズショップ」を配置し、施設全体にシャワー効果を生み出す。
②.3~4階にはコンサバティブ志向の「ミッシーやミセス」向けのファッション&雑貨を集め、「公園通り周辺」とは違うテイストの女性層の居場所を創る。
 営業面積の狭い2階は、同じテイストのヤング層を中心のフロアとする。
③.B1~B2階には「”市場”感の強い生鮮三品」や「インポート物のワインや洋酒を充実させた店舗」を導入し、「デパ地下」とは異なる主婦層や駅周辺の飲食店経営者たちが利用しやすい食品フロアを創る。
④.面積の狭い1階は、意識してSCへの「ウェルカムゾーン」を創り、商業施設全体へのアクセスのし易さや、目の前のバスターミナルとの一体感を演出する事を目指した。
というのも当時のビルは建物の両脇を「都市銀行」と「信託銀行」という地権者が占有しており、B1~2Fは商業施設の営業スペースが十分に確保できなかったから、百貨店などの様な華やかなShowウインドー的な空間演出が出来なかったのだ。
これらの内、②と③はデベロッパーの大手不動産会社が希望し、①と④は私達外部コンサルが導入を強く主張した。

このような経緯を経てリニューアルOPENした「1980年代の東急プラザ」は、とりあえず成功した。
この時の「リニューアルOPEN」後に、そのSCに私が行ってみて改めて強く感じたのは
「渋谷にもこういう人達が、やっぱり沢山居たんだ」
「こういう人達がショッピングしたり、時間を過ごす場所が求められてたんだよなー」
「”公園通り”に行かない人たちの商業施設が、やっぱりこの街には必要だったんだよな・・」
といった感想であった。

更に1階に設けた「ウェルカムゾーン」として、「待合施設となり得る、機能を有した開放的な喫茶店」や「フラワ―ショップ」の導入は、今では多くの商業施設ではよく見られるようになったが、この時期1980年代ではホテル以外には珍しかった。
計画段階では、オーナーである不動産DVからは
「地価の一番高い処に、何で喫茶店や花屋なんだ~!」
と言われたりしたのだが、それでも最終的には我々の提案を受け入れてもらい、そのplanが実現したのである。
DVの経営者たちも単なる不動産屋的発想ではなく全体像を把握した上で、「エントランス」の役割や機能を理解し、受け入れてくれたのであった。

渋谷東急プラザリニューアル前.jpg
    1980年代にリニューアルOPENした「昭和の渋谷東急プラザ」    

この様なプロセスを経て開業した昭和末期の「渋谷東急プラザ」と比べて、数年前に建て替えられた「令和の渋谷東急プラザ」との最大の違いは、
目の前のバスターミナルや背後の飲食ゾーンを含めた、周辺の街区を取り込んだ「ウェルカムゾーン」の欠如だったのではないかと、私はそんな風に感じている。

そして何よりも渋谷駅周辺という街に来る人達「来街者」を、SCという館の中に積極的に取り込み、「来館者」としていこうとした視点があったか否か、が大きな違いだったのではないかと私は推測している。
新しく出来上がった「令和の東急プラザ」は、周辺街区の取り込みを意識した「街と館との融合」があまり感じられない、ピカピカのビルだったのである。

駅周辺やバスターミナル周辺の街区を行き来する人達が、「気軽に入ってみよう」とする、或いは「入ってみたい」と思える商業施設創り、という視点が欠落してしまったのが新生「令和の渋谷東急プラザ」ではないか、と思ってしまった。

久々に訪れた渋谷の駅前を観て、そんな風に感じてしまった、昭和の真ん中ら辺に生まれた私なのであった。
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