人生最期の数%が幸せならば・・

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コラム
これはマザーテレサの言った言葉だとされている。
私が時々購入する新聞にかつて連載されていた、「看取り師」の女性がそのように述べていた。
世の中に「看取り師」なる職業があることをこの記事によって私は初めて知ったのであるが、「おくりびと」以来の発見であった。

「看取り師」というのはどうやら一種のホスピスで働く人達のことらしいが、病気などで残りの人生を知らされている人たちを、収容・看護するNPOのような存在、らしい。
死期を宣告された人々に寄り添って、その人の立場に立って、人生の最期をその人と共に過ごしてあげる人達だという。

その時の連載記事では、彼女が「看取り師」に成ったきっかけについても述べられていたのだが、その際に彼女が大切にしている言葉がこの「人生の最期の数%が幸せならば、その人は幸せである」という、マザーテレサの言葉であったという。

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私はこの言葉を聞いた時「鈍翁益田孝」の事を思い出した。
「益田孝」は三井物産の創業者で、明治大正・昭和に活躍した実業家で立身出世した成功者といってよい部類の人物である。何せ現在の三井グループの骨格を作った人物なのだから、世評の通りだっただろうと想像する。
その人生を順風満帆に生き抜いた「益田孝」の人生の最晩年は、必ずしも幸せとは言えなかったようだ。白崎英雄氏の著書『鈍翁益田孝』に書いてあった。

もちろん経済的には何不自由なく、大きな邸宅に住み絹の夜具に包まれ 面倒を見てくれる雇人はいたのであるが、その絹の夜具もあまり頻繁に取り換えられることもなかったようだ、という。
金銭で雇われた人はいても、親身に成って彼の立場に立って寄り添ってくれる人が、身の回りには居なかったらしいのである。
どうやら益田孝は、人生の98%くらいは成功者として満たされていたのだろうと思うのだが、残りの数%は幸せとは言えない状況にあった、というのである。

人生は波乱に富んでいる、いろんな出来事があり、いろんな人とも出遭う。一本調子に行かないのは当たり前だし、またそれだから生きていることは愉しいのだとも思う。
自分の不遇や、思うようにいかないことも沢山ある。そのことを嘆きもするし哀しむこともあるだろう。

それとは逆に幸運に恵まれて、我が世の春を思う時もある。
しかし人生の最後の場面で自分の人生を振りかえった時、これまでの人生を恨んだり不憫に思って、死んで行くような状況であってほしくは無いものだと想っている。
出来る事なら「最後は幸せな気持ちで」あの世に旅立ちたいものだと、想うのである。
たとえ95%が後悔や失敗の連続であったとしても、である。

先週母親が90年間の人生に、幕を閉じた。
77歳の時に脳内出血で倒れてから認知症が始まり、その後の転倒事故などから意識が無くなって、12年間の間「植物人間」に近い状態で生きていた。

元気な頃は行動力や知識欲が旺盛な人であっただけに、この12年間は不本意な人生の晩年であっただろうと私は想っている。
それも意識が殆ど無かった事から、そのことについて思い煩う事もなかったに違いない、とも想っている。
母にとってはそれがかえって良かったのかもしれない。

いずれにしても意識のあるうちは、それなりに充実した人生を送ってこれたことは、母にとっては幸せだったのではないかと想っている。

最後に家族で書いた色紙に、私は以下の言葉を書き記して棺に納めた。


      母よ   私を生んでくれてありがとう
           私を育ててくれてありがとう


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