「優先席に座れて当然」と思うのは高齢者の勘違いなのだろうか?
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昨日までの文章になんとなく続いています。
いつものようにネットを徘徊していると、年寄と優先席についての文章を見つけました。
書いたのは松下幸之助氏(今では誰も知らないでしょうが、経営の神様といわれたパナソニックの創業者です)のもとで23年側近として過ごした江口克彦氏です。
本人は気の利いたことをいっているつもりなのでしょうが、私の考えでは完全に的外れです。
以下、引用します(適宜私の判断で省略しています)。
-電車やバスなど、公共交通機関に乗ると、たいてい「優先席」がある。お年寄り、妊婦などの方の「優先席」というステッカーが貼ってある。これは「弱者への思いやり」ということで考えられたものらしい。
確かに妊婦とか身体障害者、病気の人など弱者のための優先席はいいが、年寄りというだけの理由で座れるような優先席は要らないのではないかと思う。
年寄りは、周囲から年寄りと言われ、そのように扱われると、老け込んでいくものだ。まして、優先席に座って、自分ですすんで老人っぽく、年寄りっぽくする必要はあるまい。そこには、老人としての毅然たる心意気もなければ、年長者としての誇りもない。おおよそ、老人が無視され、年寄りが馬鹿にされるのは、誇りがないからだ。
過日、SNSに載っていたのが次のような話である。
間抜けな高齢者たちもいるもので、ハイキング帰りに、電車で座っている若者の前に立って、その若者に聞こえよがしに「まったく、この頃の若い人たちは、思いやりとか、いたわりの心がないね」「そうよ、そうよ」「昔はね、譲ったものだな」などと話したりしていた。
そのようなことを言っていたら、その若者が「あんたら、なに言ってるんだ。ハイキングの帰りだろ。それだけの体力があるなら立ってたっていいじゃん。こっちとらはこれから仕事だよ。仕事に行くんだ。オレたち若い連中の働きによって年金貰ってさ、あんたら暮らしているんだぜ。ハイキングに行けるのもオレたちのおかげなんだ。けど、俺たちがあんたらのような歳になったら、年金があるかないか。ハイキングなんか行けない。ちょっとはそのこと、考えろよ」と一喝、逆襲されたという。
(中略)
高齢だから、という理由だけで優先席は要らない。50歳を過ぎたら、本当に座らなければならないほど苦しくなったときに備え、原則、電車やバスの席に座るべきではない。座らない癖をつけよ。それが自分のため、それが体力づくりのためだ。
「50、60はなたれ小僧、70、80働き盛り、90になって迎えがきたら、100まで待てと追い帰せ」という言葉があるが、70歳を過ぎた、80歳になった、というだけで老人ぶったりすること自体、いただけない。自分は年寄りである、と思っている人も、今一度思い直したほうがいいのではないだろうか。-(引用終わり)
こういうのを年寄りの負け惜しみというのでしょうね。
この筆者は調べたところ83歳とのことですが、ご本人は多分元気なのでしょう。
ひょっとしたら電車に乗ることもないのかも。
だから弱い人間のことがわからない。
それから、「老人としての毅然たる心意気もなければ、年長者としての誇りもない」とのことですが、なぜそんなものが必要なんでしょう。
老人なんて単に歳をとっただけの存在ですから、誇りに思うことなんか何もないでしょう。
誇りとか心意気なんて、年寄だから尊敬、尊重されて当たり前という意識の裏返しでしかありません。
また、「年寄りである、と思っている人も、今一度思い直したほうがいいのではないだろうか」なんていわれても、年寄というのは物理的な状態のことで思い直してなんとかなるものではないでしょう。
私は、老人ぶるつもりはありませんが、歳なりに電車ではできるだけ座りたいと思っています。
ところで私も最近、2度ほど電車で席を譲られそうになったことがあります。
2度とも子連れの女性でした。
ありがたいとは思いましたが、両方とも断りました。
上記の文章の筆者のような無駄なカラ元気からではありません。
私みたいな下らない人間が子供や女性を立たせて、自分は座るなんてあってはならないことだと本気で思っているからです。
ついでに書いておくと、別の日のことですが、立っている人がいるのに2人分の座席を占領してスマホに夢中になっている男性がいました。
遠慮してか誰も座らなかったのですが、私はわざとそこにいって座ってやりました。
彼は不満そうでしたが何もいいませんでした。
ケンカになっても仕方ないと思っていたので、何もなくてなによりでした。
私は明らかに一昨日や昨日の文章に出てくる文句ばかりいっているブータレジジイです。
でも、こういう無神経なやからには我慢できないのです。
では。