何で声がでない?

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コラム
小学4年ぐらいだろうか、なんか話す時にどもっていた。
母親からまたは祖母から落ち着いて話なさいと言われていた。
友達からも変なしゃべり方だなって言われたこともあったが、
当時は全く気にもせず、話していたことをかすかに覚えている。
また家族で母親の実家に車で移動する時も、母親からYASは話すの
好きなんだねって言われたのも覚えている。

そのあと転校することになった。
そして転校先でいじめにもあった。
まだ声に関してのコンプレックスは感じてなかったと思う。
ただ、都会から来たってことで、おちょくられた、
外見が女ぽい、細くて弱弱しかった、そんな声も聞こえてきたのも
かすかだが覚えている。

中学に入り、徐々に自分のしゃべりや細い体形が嫌になってきた。
そのしゃべり方や体形が、恥ずかしいと感じることが強くなってきた。

授業で答えがわかっているのに、答えようとしても、あれ?声が出ない。
その為いつも「わかりません」と言うしか出来なかった。
なぜか「わかりません」という言葉はしゃべれた、それが救いだった。

友人は小学校からの友人2~3人しか出来なかった、
中学から新たに友達になったのも2~3人程だったと思う。

友人と話す時は比較的どもらないで話すことが出来た、
どもったとしても、そんなに気にはならない程度ですんだ。

しかし徐々に話方が変わってきた、
どもりながら話すのが怖くなった、どもるのが凄く嫌で嫌で仕方なかった。
なら話さなくていいやと、ほとんど自分から話すことは無くなった、
話したい時あっても、声が出ないから諦めた。
高校ではアルバイト希望の電話が非常につらかった、
まだ携帯もなかったので、家の電話で掛けていた。
両親は共働きで家を留守にしていたお陰で、親に自分のしゃべりを聞かれるのが嫌だったから留守だったのは良かった。

その後も短大に進学し、バイトは何故か飲食店を選んでいた。
ホールで接客は出来ないから、裏方の厨房なら出来そうという考えからだった。
実際にやってみたらめちゃくちゃ話すことが多くて、凄く大変だったのを覚えている。
そして社会人になって、そのあたりくらいからか、
連発性の吃音から難発性の吃音が強くなった。
当時は自分が吃音だなんて知ることもなかった、
自分が吃音だと気づいたのは20歳くらいだろうか、TV(NHKだったか)で同じような症状のドラマが放送されていて、僕と一緒だと知り
そこから吃音症と携帯で調べたのを覚えている。

直す方法をひたすら調べたが出てこない。
完治はしない、症状が良くなるとか克服したという内容があった。
完治しないなら、もう人生終ってんなと感じていた。

なんで声が出ないんだ!
なんでオレなんだ!って。


















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