男に二股かけられたら観たいバレエ・ジゼル。

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仕事を再開したいものの、パートナーのピカチュウが、スカウターが壊れるくらい戦闘力を上げるために今、修行場にいるので、ワンオペで子供の世話のため仕事再開まで、もうちょっと時間をもらおうと思う。

ハロウィンの次の日は、娘たちのバレエ教室主催のバレエ鑑賞の日だった。
新国立劇場でジゼルを観に行くことに。
すごいよかったよ〜。

バレエのチケットって高いんだよね。オーケストラの生演奏がつけば、ちゃんとした席で12000円から22000円くらいの価格帯ぐらいが相場かなぁ。
だから、子供の勉強に、と思ってもなかなか連れていけない親が多いんだよね。子供の安全を考えて付き添いが必要だから、どうしたってチケットは二人分必要。でも子供だからって割引料金はない。ちゃんと見るならS席以上だし。
バレエを習うって、経済的に本当に大変なことなんだよね。
(うちもそう言う意味では、冷静に考えると大富豪ではないので苦しい習い事だよw)

 だからそういう子供のために、今回、先生が引率して観劇の機会を作ってくれたことは非常にありがたいことだったんだよね。
小学生以上がその参加条件だったから、うちは下の子供もつれていくために家族で参加したんだけど、ほとんどの親は近くのカフェで子供が帰ってくるのを待っていた。

 それでも参加させてもらえた子供たちは幸せ。
親の経済力によっては、それでもバレエ鑑賞がかなわない子供もいる。

 「プロになるかどうかもわからない世界で、お金をつぎ込めないでしょ。」という、親の迷いが当然あるし、習わせて発表会に出すだけで精一杯っていう親子だっている。

 このバレエ教室でも、自分が気になっている男の子が一人いて、私はひそかに親に働きかけをはかりつつ、彼を応援していた。
 彼はバレエが本当に大好きで大好きで、宿命もまさにダンサーが天職の子。
 経済的な応援と適切な教育さえ与えれば、この子は本当にプロになる、って思うだけの宿命だった。好きこそものの上手なれっていうじゃないか。

でも彼の親は、彼の情熱が理解できない。
彼がいうにはDVDをみても母親が横で、「ぜっんぜんわからない!面白くない!意味わかんないし、つまらない、どこがいいの!」を連発して、小学生の割にしっかり者の彼もさすがに「母といると、すっかり興ざめになってしまうんです。」とこぼしていた。
 何も言わないならまだいいけど、親のこうした無神経かつ、子供の才能を潰す余計な言動はやめてほしい。と他人のことながら思って聞いてた。

 右脳系の子供は、才能や本質を早くから理解して教育しなければならない。右脳世界は脳波が違う幼少期が勝負だ。例えば、右脳系の分野のひとつ、運動能力の臨界期はすぐさますぎ去ってしまう。
 彼の親にも、なんどか無料で子供に公開されているバレエの公演のチャンスを教えたりもしてたのだけども、親がそれを利用した形跡もなく、案の定、今回の鑑賞会にも彼はきていなかった。イベント時の送り迎えだって協力し合えるチャンスはあるのに、親のムードが拒絶的。
でも、きっとこうした環境は、彼だけに限ったことではないだろう。
 どんな親の元に生まれるかだけで、子供の可能性が制限されるとしたら、この世はなんて不公平なのだろう。

 昔はそういう子供たちを助ける金持ちの大人がいて、それとなくそういう子供を援助していた。自分もなんどとなくそういう周りの大人の慈愛を受けて育ったからここまでになったと思うので、恩送りの意味で自分の子供以外の子供の才能も一緒に育てる気持ちを日頃、持っている。

 でも今は、コロナ拒絶と親のコミュニケーション能力が低くなったために、ものをわかっている他人が、中にいる子供を手助けする隙さえ与えられなくなった。このままだと日本で、見えない虐待はもっと増えるだろうし、隔絶されたファミリーが増えれば、今の子は親がどんな人間性か、価値観の持ち主か、経済力か、教養の土台を持っているかでほとんど全ての未来が決まってしまうことになるだろう。
親ガチャに負けた子供が、希望を失う社会になってしまう。

 だから、アメリカのように金持ちだけが行ける私学をやめて、北欧のようにどこの家庭に生まれたとしても、質の高い教育の恩恵を受けられるようなシステムに日本も変わるべきだと思う。
 とくに右脳の世界は、子供の頃にどれだけ質のいいコンテンツを体験したかによる。観劇経験、芸術鑑賞経験が、大人になってからのイマジネーションの土台になるからだ。芸術は自己肯定感とリンクしていることが、研究でわかってもいる。子供の自殺を防ぐ。全ての子供にもっと芸術を!そう思う。
でも国の予算は、どんどん削られている。残念なことだ。

今回行った新国立劇場は国を代表する劇場で、国内でもトップレベルのアーティストたちが出演する。うちの子供たちは、この新国立劇場のプリンシパル・ダンサーのごきょうだいがされているバレエ教室に通っていたので、その関係もあって、今回の鑑賞会が実現したというわけ。

いまや、バレエの世界は、あれだけの運動量をこなす持久力が求められるプロアスリートの世界。世界のバレエ団はしっかりとした最先端スポーツ科学を根拠にした教育・運営とともにある。
 父母会がいまだにあるような昭和のバレエ教室のおばちゃん先生たちの知識は、すでにお蔵入りの状態で、現代はそうした世界の先端のトレーニングを経験してきたバレエ・ダンサーたちから、発達学を基礎に技能を効率的に、そして安全に学ぶ時代になってきている。

 フランスやロシアなどは、国家資格がなければ、バレエの先生はやれない。
本来のバレエの世界というのは、子供の健康や発達にも関わる分野なので、日本のようにかつてバレエをやっていましたという人が誰でもなれる世界ではなく、実は指導できるだけの正式な教育を受けた先生でないと、子供の体の使い方を間違えて教えてしまい、その結果子供は怪我をしやすい体に成長することになってしまったりもする。
だから、どんなルーツを持つ先生の、どこのバレエ教室に通わせるか、というのは実は非常に重要なことなので、これから子供にバレエを習わせる時は、近所だからという理由で安易に教室を選ばないことをお勧めする。

今回の新国立バレエ団の演目のジゼルの話の前に、バレエの世界に触れたことがない人たちのために、バレエのウンチクを少し。
バレエっていうのはボディ・ランゲージの世界なんだよね。
ダンサーたちは、ことばを使わず体だけで感情表現や意思を、時に手話のようなものを使いながら、人の思いがつくりあげるエネルギーを舞台からバンバン発し、観客がそれをテレパシーのように感じとる芸術。

だから、歌舞伎と一緒で、だいたいのお話や筋書きは観劇前に知っておく必要があって、子供向けに3分あらすじなどもYoutubeなど探せばでてくる。
 代表的なバレエ作品の中にはたくさんの型があり、その型のなかで個々のダンサーの芸術表現が滲み出てくるのがとても面白い。それがわかるためには、やっぱり同じ作品を数、鑑賞する必要がある。

 2チャンネル創始者のひろゆきさんは、「バレエって正直言ってつまんないんですよねぇ〜」とyoutubeで言ってたけど、それは伝統芸能やバレエの見方をまったく知らないひとの発言であって、バレエの鑑賞力の土台をつけるには、最低でも5本以上同じ作品のバレエを見てからでないとバレエはつまらないとは断定できないし、もしそれでもつまらないとかんじるならば、ひろゆきさん本人の芸術感度の問題もあると、私は思う。
正直、バレエは空気を読みすぎる人間には非常に豊かな芸術世界だと思う。

フランス人の演じるジゼルと日本人の演じるジゼル、ロシア人のジゼルは、同じシーン、同じ振り付けでありながら、まったく演者の表現が違う。伝わってくる感情エネルギーが全く違う。表現のなかにダンサー自身の生き方の違いや国民性のフィルターがかかってくるからだ。
 観客がダンサーの肉体が伝えてくる、この感情エネルギーの違いを感じ取って、それをいかに味わえるかというところに、バレエ鑑賞の醍醐味がある。

とくに新国立劇場の芸術監督は、英国ロイヤルバレエ団のプリンシパルを長年勤め上げた吉田都さんが現在勤めていて、どのバレエ作品もこの「みやこちゃん」フィルターには、日本人の「かわいい」パーセプションがいっぱい散りばめられている。昭和のベルばら少女漫画でときめいた思春期の少女のフィルターがこのジゼル作品にもかかっていて、日本の女性には非常にわかりやすい仕上がりだ。バレエや歌舞伎は、漫画の表現と非常に似ているというのも覚えておくと心理的なハードルが下がると思う。
 みやこちゃんの演出した作品は乙女のハートがキュンとなるようなものが多く、どの作品からも「キュート」と「スィート」を味わえる。
バレエ好きな少女に響くエッセンスが詰まっている感じ。

そして、ダンサーと観客は、作品の間中、互いに呼応し続けている。
そのやりとりが感じ取れず、その呼応のなかに入り込めない、としたらはすに構えることに慣れすぎて、人間の豊かな世界の可能性をなにか取りこぼしてしまっていることになっている、ということを、ひろゆきさん自身が気がついていないのだろう。

 算命学を持ち出して説明するなら、鳳閣星が悪く出ると、表面的な浅知恵で、大義を持って生きている人たちをコケにし、馬鹿にし、顔を潰す。そして、自分自身もバカぶる。
 懸命に身を粉にしている車騎星(バレエダンサーに多い)や牽牛星の人々の顔に泥を塗るようなことを平気な顔でやってしまう。
最近の沖縄の基地問題の炎上もそう。

で、そんな鳳閣星の横暴や無礼を止める人々がいる。
水の人々=正当な伝統、過去の叡智の塊・龍高星と玉堂星の人々である。
さすがに水に火は敵わない。

 ひろゆきさんは大衆にわかりやすいとか、違う見方でものをみる楽しさ、という意味では素晴らしいのだが、過去の積み重ねとデータと知識の集大成をしてきた冷静な知識人の前では、実際には手も足も出ないはずだ。
きっと、テレビ的に面白くないので、超専門家を相手にやり取りするような、そういうシーンは流していないだけなのだと思う。

だから、正当な伝統・王道学問の星・玉堂星、そして過去の知識の中に革新をはかる龍高星のある人たちのほうに、バレエのようにダンサーたちの損得顧みない挑戦や意義を理解しようとする人は、きっと多いだろうと思う。
 そして、やりすぎた鳳閣星・司禄星の大衆化・庶民化に対して、「ちょっと待った!」をかけるのもこの人たちだとおもう。

玉堂星・龍高星の知性は、世間のノリや流行りに簡単に判断を流されることがない。だから、壊してはいけない深い叡智を理解する心があるし、伝統芸術も根気よく理解することができる。この人たちの知恵は、100年先も残すべき叡智の価値を見極めることができる知恵だ。
過去の知恵を深く味わえる感性を持った水の人たちこそ、ぜひ伝統芸能の鑑賞の趣味をもっていただきたい。

で、話を戻そう。
この、ジゼルという女性は、わかりやすくいうと、金持ちの貴族のおぼっちゃんに二股にかけられ、もて遊ばれた村の女である。もともとよく言えば純粋で(悪く言えば世間知らずで)体が弱かったため、失恋のストレスに耐えきれず、精神を病み、結局はすぐに死んでしまい、幽霊になる。

で、彼氏・アレブレヒトという貴族の男は、家が決めた金持ちの娘と結婚の約束をしながら、村に度々おりていって、可愛いジゼルに目を留めて、結婚の約束をたてにジゼルと付き合うようになる。あわよくば、同時進行できるとおもってたんだよね。

で、ある日、それがバレることになるわけよ。

ジゼルは決して叶わぬ恋の現実を目の当たりにして、愛する男の裏切りを知り、狂乱のあまり死んでしまう。

そして、その村には、こんな怖い伝説があった。

若い男に騙され裏切られて亡くなった若い女は、皆、ウィリーという霊になり、その男を呪い殺す。男は、一晩中、ウィリーに生気を奪われ、夜が明ける前に命が尽きるまで踊り狂い死にさせられる、という伝説だ。

亡くなったジゼルへの思いが忘れられず、罪悪感に苦しむアルブレヒトは、夜中のジゼルの墓参りでウィリーたちに取り憑かれ、ついに逃げられなくなってしまう。

が、アルブレヒトは、ジゼルの気配をふいに感じ、気がつくと、ウィリーの一人になったジゼルが自分のそばにいた。
ジゼルは、ウィリーたちに、アルブレヒトを解放するように願い出る。
しかしウィリーたちは納得しない。
自分を裏切った男をなぜ庇うのか。
怒り収まらない。

そこで、ジゼルはアルブレヒトの体力を持たせるために、時間稼ぎのために一緒に踊り手助けをすることにする。ウィリーが活動できなくなる夜明けが来るまで、ジゼルはアルブレヒトを守り続けることができるのか...

死んでもなお、裏切った男へ愛を発揮し続けるジゼルの切ない女心を表現した作品が「ジゼル」なんである。

 若いアルブレヒトは、最初はほんの軽い気持ちで自分の欲を満たそうとしただけだったのかもしれない。それがこんな大ごとになるなんて思いもよらなかった。その浅はかな自分を悔いても悔いても、もう人の命は戻ってこない。
その責任の重さに潰れそうになる男性の気持ちを踊るプリンシパルダンサーの表現力も胸に迫る。

でも、見所は、やっぱり最後の幕だよな。
女っていうのはさ、男に二股かけられて騙されたと傷ついたとしても、二つの自分が存在すると思うんだよね。
一つは、傷つけた相手を殺してやりたいくらいの怒りをもった自分(=ウィリーたち。)
もう一つは、それでもなお相手を忘れられない執着をもつ自分(=死後のジゼル。)

ジゼルの最後の墓場の幕は、その女性の内面の精神的な葛藤を物語として表現していると思うのよ。
 アルブレヒトを殺したいウィリーも自分。
でもそんなバカ男のアルブレヒトをなおも愛したいジゼルも自分。

二股をかけられた女の葛藤のせめぎ合いが、ウィリーと対峙するジゼルのダンス対決のシーンに現れているわけよ。

そのシーンを鑑賞している観客側は、虫が弄ばれるように苦しみ、息も絶え絶えのアルブレヒトを最初冷たい目で眺める。でも十分罰を受けた彼見て、ある程度スッキリしてきたら、無性にそいつを救ってやりたいと思う気持ちも湧いてくる、という、矛盾した気持ちになるんだよね。

そう、観客が、舞台の中のウィリーのひとりになって、アルブレヒトを眺めている。物語の風景の中に自分が取り込まれる不思議な現象が起こる。

その激しい葛藤の末、二股かけられた女側がどんなに男を想っていたとしても最終的には報われない愛の虚しさと次の人生の希望の象徴として、ようやく夜明けがやってくる。

こうして、箱庭療法のごとく、失恋した女性が次の一歩を進むための心理状態をヴァーチャル体験できるのがジゼルというバレエ作品なんだよ。
二股かけられる経験の多いゲイもビアンも失恋して幽霊になりそうになったら、ぜひ見てほしい。w

この作品を見ると、成立当時は節操なく若い女を引っ掛けては泣かしたバカな若い男が世の中的に多かったのではないかと思う。
どうせ結婚するんだからいいじゃないか、と説得しながら、関係を突き進んでいくやつらがいたのだと思う。

ちなみに私がプロファイリングの相談を受けるとき、決まった結婚ができちゃった婚であることを説明するとき、おきまりのように若い男がとってつけたように付け加えて説明するフレーズは、
「どうせ、僕、結婚するつもりだったんで。」なんだよね。

「どうせ結婚するつもりなら、先に入籍しろ。」
って親は言いたいだろうな。
そうですか、ってクールに答えつつも心の中では、いじりたくなる。w

もちろんうちの娘たちがそんな目にあったら、ぶん殴るどころの騒ぎではない。うちは父親が二人いるようなものなので、万一そんなことをしたら、そいつは父親二人分にボコボコにされる覚悟をもって、挨拶に来てもらおう。w

しかし、切ないねぇ...
結婚するならと男の求めに応じて、裏切られても、それでも女性側は何も言えない。相手に仕返しもできない。何の保証もない。
だから、伝説を作って、若い男を脅すことしかできなかった。
そんな時代だったんじゃないかねぇ。

そんな社会的弱者だった女性のこころを癒し、スッキリさせるために、このバレエ作品ができたんじゃないかなぁと思うんだよ。
社会、どんどん変えなきゃね。
女性が生きやすい世の中にね。

でも、頑張ってるよ、新国立劇場。
芸術監督が女性であるとともにね、オーケストラの指揮者も女性を起用しているんです。クラシックのオーケストラの指揮の世界ほど、男社会もないと思うの。だから男社会がまだまだはびこる、ジェンダー格差のひどい日本で、女神たちがここで頑張ってる姿を見に行って、応援してほしいね。

 プリンシパルをやれるほどの男性ダンサーは日頃からまさに「王子」エネルギーで生きているので、もしも身の回りの男が嫌になったら、男のバレエダンサーから聖なる王子エネルギーをもらって、自分の男性イメージをリセットするにもよいですよ。

失恋したら、ジゼル。覚えておいてね。w
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