カウンセラーの在り方について

記事
コラム
最近、ココナラでカウンセラーの在り方について考えさせられることがありました。
私がカウンセリングを受ける間、その方は「会話の中でぽんぽんといろんな物語や会話を作り上げて、そのうえで会話をさらに続ける」癖がある方だったので、話が整理されなくなりました。
要するに、私は、「事実や現実を話す」ことはとても大事なことだと思います。
すべてがその人の人間関係やありもしない物語や会話や世界観の中で展開するわけがないことも多いからです。
現実に、今、どういう状態で、何をどうしたほうがよいのか。
ただ、それだけを話すことがカウンセラーのあるべき姿で、
ココナラのカウンセリングの中で、クライアントとカウンセラーがカウンセリング中に会話から展開した会話上の延長にある物語を作り上げていく必要は、現実にないと思います。
それを人間関係の機微だ、と仰るのはクライアントにとっては押し付けだと思います。クライアントは自分が持つ問題を情緒を感じながら解決していきたいだけです。本来、すでに持っているクライアントの自分自身を否定せず、カウンセラーはクライアントにとって完全な黒子になるべきだと思います。
私自身、昔から他人に過干渉や干渉、おせっかい、ペルソナや物語を作ることがないタイプでした。オタクやサブカルが嫌いで、ファッション雑誌ならヴォーグが好きで、ダヴ・キャメロンがいても驚きません。
その人には、その人自身が持つ、もともとの個性やリアリティがあります。
スキキライではなく、どうしても、その人が持っているもともとの現実があります。フィクションをNPOやSNSみたいに作り上げて会話するのではなく、
クライアントが本来あるありのままの姿に戻るということが、カウンセリングのだいご味だと思います。
自己実現というのは、なろうとする物語ではなく、元の自分にスーッと戻していくようなありかたなのだと思います。
私は、人間なんてみんな「たまたまそこに居合わせて、交錯劇を続けてきただけ」だと思っていて、ココナラのカウンセリング中という短い時間で、その人の人生が勝手にカウンセラーとの人間関係や会話上の会話の処理で決まることはないと思います。
最近、SNS的世界観の人間が日本に増えすぎて気持ち悪いなと思っていました。私はもともと仏教的な因縁や縁の世界観やぼんやりとした和的な感覚より、西洋の雰囲気やスッキリした波長が好きです。都会的なタイプではありますが、それをカウンセラーの価値観で「どちらが正しいか」を言われている感じがして、とても不快でした。それは、私は「カウンセラーとの関係を否定する」ことではなくて、「クライアントの本来ありのままの姿」がそうであるなら、カウンセラーは週刊誌が書くような古い日本の平成の頃のようなステレオタイプや価値基準を抜きに、クライアントのありのままをアドラー心理学のように素直に受け入れ、向き合うべきだと思います。
自戒を込めて。
サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す