念仏者の生き様から

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 人ならば仏性(ほとけしょう)なるなまこ哉(かな)
 江戸時代の俳人・小林一茶の句です。一茶は1763年、現在の長野県信濃町柏原で農家の長男として生まれますが、3歳の時に母を亡くしています。そのような生い立ちからでしょう、有名な句「我と来て遊べや親のない雀」があります。
 15歳で江戸へ出て、20代からの2万句とも言われる一茶の句には、蝶(ちょう)、蛍(ほたる)、蚊(か)やハエなどの虫、動植物がたくさん出てきます。そこには動植物との一体感が読み取れます。
 また、熱心な念仏者であった祖母、父親の影響もあり、念仏生活の中で育てられた一茶にとって、俳人としての旅は、そのまま仏法求道の旅であったのではないでしょうか。40代後半から65歳で亡くなるまでの句にはお念仏の句も多く、社会的弱者の視点とともに、念仏者の視点から、いや念仏者の生き様から詠まれているように私には感じられます。
 さて、「人ならば仏性なるなまこ哉」の句は一茶48歳の時のものです。
 「なまこよ、もしも人間ならば仏になれるのになあ」との意でしょう。一茶がなぜなまこに仏性を見ているのでしょうか。その背景には『古事記』の中にある一節が関わっていると思われます。
絶望などない一本線
 『古事記』によると、アメノウズメノミコト(神様の前で踊りをする踊り子)が、すべての大きな魚、小さな魚を追い集め、尋ねて言います。
 「お前たちは、天(あま)つ神(かみ)である御子(みこ)にお仕(つか)え申し上げるか」と。すべての魚は皆、「お仕えします」と申しますが、なまこだけがそう言わなかった。そこでアメノウズメノミコトはなまこに向かって「この口はまあ、返事をしない口だこと」と言って、紐(ひも)付きの小刀でその口を裂きました。それで、なまこの口は裂けていて、海に沈んで、静かにずっと今まで来たといいます。
 別の言い方をすれば、「神さまの言われるままに奉仕しなさい。食べられてもしかたがない。食べられることが奉仕なんだ」ということです。そしてなまこだけが「殺されるのはイヤだ。みな平等なる命ではないか、殺されてもいい命などないのだ」と拒否したのです。
 念仏者・一茶にとっては、そのなまこの拒否の姿に、もしもなまこが人間だったらなあとの思いが感じられます。
 仏教では、われわれがそれぞれの行為によって趣(おもむ)き往(ゆ)く迷いの境界(きょうかい)を「六道(ろくどう)」といいますが、その一つに畜生道(ちくしょうどう)があります。
 畜生とは貪欲(どんよく)・淫欲(いんよく)だけをもち、父母・兄弟の別なく害しあい、苦多く、楽の少ない生きものとあります。また、自立することなく人にたくわえ養われるものとあります。それはまさに、人の言いなりになって言われるがままに生きることを言います。
 親鸞聖人は、ご自身が大切なことを述べられるとき、「親鸞は...」「親鸞におきては...」というように、他者に強制されることはありませんが、はっきりと自らを名告(なの)られてからおっしゃっています。
 「心(しん)を弘誓(ぐぜい)の仏地(ぶつじ)に樹(た)て、情(こころ)を難思(なんじ)の法海(ほうかい)に流(なが)す」(浄土文類聚鈔(もんるいじゅしょう)
 私がお念仏申すそのままがいつも、いかなる状況の私であっても、決して見捨てないとの阿弥陀さまの大いなるはたらき、大地に支えられているという身の安らぎです。その安らぎの中においてこそ、本当に自立できるのです。
 「念仏者は無礙(むげ)の一道(いちどう)なり」
そして「犀(さい)の角(つの)のようにただ独(ひと)り歩(あゆ)め」(スッタニパータ)とあるように、念仏者の歩む人生には苦難はあっても絶望はありません。
 一茶のなまこを詠んだ別の句があります。
 「浮けなまこ仏法流布(ぶっぽうるふ)の世(よ)なるぞよ」です。
 なまこさん、安心して浮いてこい。今は仏法が広まり、命を大切にする世の中だ。言われるまま喜んで食べられろという時代じゃないから...。
 今、私が問われているようです。
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