能登半島地震に考える、自身のあり方

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コラム

1月1日、16:10頃に発生した能登半島地震。
能登半島を震源とするマグニチュード7.6の苛烈な地震は、今も被災地の多くの方を不安と恐怖の中に閉じ込めています。


ココナラを通じて出逢った出品者様の中にも、石川にお住まいの方がいらっしゃるため、胸の痛む日々です。
旧友が多くいる街、そして同僚の地元でもある街です。


一日、一刻も早い復興と、みなさまの生活の安定、心の平静がおとずれることを祈ってやみません。

みなさま、どうか大事ありませんように…。


今日は、地震発生から世間に行き来している情報を目にしながら、今、私が考えていることを書き留めておきます。



思い至った結論から先に書いておきます。


復興を願う間も、ココナラでの活動に注力します。
私に出来る唯一の具体的行動は金銭的支援だからです。

そしてこれは、自分のためです。
悔いなく毎日を過ごしたい。
人に何かを出来るだけの余裕ある自分でいたい。

つまるところ自己満足ではありますが、そう決めたのです。




■世間に漂う自粛ムードについて

こうして胸の痛む有事が起こると、共感力が高いと言われる日本ではいつも自粛が叫ばれがちです。


被災した方の中で、喜ばしいことがあっても、声を上げることができない方もいらっしゃると思います。

また、被災していない方の中には、不謹慎だと思われることを避け、通常時よりも活動自粛されたり、停滞される方も。


こういう時に、
「人の心がない」とか
「不謹慎だ」と言う方は、とても声が大きい。

声が大きいことがイコール善で正義なのか、しっかりと自分で考えたいのです。


被災地で悲しみが広がる中、新たな生命が誕生したり、深い絆が形成されたり、人のあたたかさに感激したり…。
それは人に言えない、不謹慎なことでしょうか?


例えばそれが被災していない方の場合、被災地の方が苦しんでいる時に!と心から消して、抑え込まなければならないことでしょうか?


私は、大きな悲しみに喜びや、人間らしい営みが隠されてしまうことは、悲しいなと思います。
辛いことも、悲しいことも、喜びも、楽しみも、どんな感情であれ大事だと考えています。

そして、一つの感情だけに集約できるほど、人の心は簡単ではないはずです。

物事の影と光、どちらも無視することなく捉えて、考えたいと思います。


聞けば、政府対応や情報ミスへの批判により、復興支援や情報提供に集中させたいリソースが別のことにも取られているというのだから…辛いです。




■被災地から届いた一本の連絡

能登半島に住む旧友より一本のメールが届きました。
元日のことです。

「心配不要!今人生で一番、自分の命を強く感じている」
というメッセージでした。

続けてこうありました。
「アスカが今を大事にしないことを許さない」と。

彼女は、私が知る中でも極めて思慮深く、穏やかな女性です。
3人の子どもと旦那様、そして義理のご両親と同居しています。

義理のご両親との関係は順調とは言い切れないもので、年末までずっと別居したいと旦那様に懇願していた中での被災。

ところが震災が起こると、義理のご両親を生かしたくて、自然と身体が動き、そんな自分をとても嬉しく思ったそうです。

家に戻ることはもう叶わず、それでも気力がみなぎっている様子でした。

私は何度も彼女の思想に救われ、影響されてきましたが、また一層彼女の素晴らしさを見ました。

今日は更に追加のメッセージ。
「とにかく君らは経済を回しておいてくれ」とのこと。

背中を押された気持ちでいっぱいでした。
自粛以上に大事なことだと思いました。




■家が全焼したクラスメイト

小学5年生の時、授業の途中で校長先生が教室へ来ました。
家を行き来するほど仲が良かったクラスメイトが呼ばれました。

その日彼女が学校に戻ることはありませんでした。
後日、彼女の家が全焼したことを全校集会で知ったのです。

彼女が学校に登校したのは、3日後。
私をはじめクラスの女子生徒は、彼女になんと声をかけてよいか分からずにいました。

一方、お調子者の男子生徒が、彼女にこう声をかけました。
「家燃えちゃって、今日どこに帰るんだよ?」
とても明るい声でした。

彼女は「ばあちゃん家」と言って笑い返しました。

女子の間ではこの男子生徒のデリカシーの無さが話題になったのですが、彼女は救われたと言います。

聞けばその男子生徒は、お母さんとお菓子持参で彼女の元を訪れていたそうです。


この時に得た教訓があります。

「行動に勝る励ましはない」ということです。




■東日本大震災で失った命と当事者の声

東日本大震災では、親族2人と友人1人を亡くしました。
会社の同僚の中には近親者を亡くした方が多くいました。

被災し生きながらえた方は、大事な人を失いながら、私たち周囲の人間よりも早く、前を向いて歩きだされたことを鮮明に覚えています。

遺族の方の言葉を取り上げます。

「私達には、大事な人を失ったという、越えなければならない壁が明確にある」

「だから悲しみきって、苦しみきったら、越えていけるの」

「でも、当事者じゃない人はありもしない壁に苦しんでいるから、越えられないし、忘れるのが悪だと思い込んでしまっているのよね?」

痛烈で、とても重い言葉でした。

心を寄せることと、自分の人生を一生懸命に生きないことは同じではないと気づかされました。




■今自分にできること、できないこと

今一度、自分に何ができて、何ができないかを考えます。

*できること
 ・募金
 ・振込
 ・被災した知人への支援

*できないこと
 ・災害を止めること
 ・ボランティア
 ・直接の復興作業

できることに集中するほかありません。
一人の力は本当に小さいと感じて辛い。
でもできることがゼロではないのが救いです。




■募金やボランティアは偽善か?

これはもう考える必要がないこと。
自分が自分の心のままに行動すればOKです。

私は偽善者と言われることにとっくのとうに慣れました。
偽善者上等。

人の言葉に悩むより、自分を裏切らないことのほうがよっぽど大事です。
人生で数度死を間近に感じて、悔いなく日々を送ると決めています。

一点の悔いがあるとしたら、それは今の自分に経済力がなさすぎることです。

お金、本当に大事です。
余裕を持ってすぐに行動できるだけの力が必要だと、心底思います。

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■被災地のみなさまへ

繰り返しになりますが、本当に一日でも一刻でも早く、みなさまが安心して過ごせる日々が戻ることを祈っています。

みなさまの近くに、大切な誰かの存在がありますように。
たまにはあたたかい食事が摂れますように。
辛く悲しい中でも、ささやかな喜びがありますように。

環境や物資の制限があるかとは思いますが、どうか可能な限りお身体には気をつけてお過ごしください。

みなさまとまた語らい、一緒に過ごす日を、今から楽しみにしています。



橘 アスカ


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