初 軽い小説 R15

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小説
 鳥の声がした。昼に聞くことが多い鳥の声だ。
喉が渇いた。麦茶でも飲もうか。そう思いふと見ると机の上には空いた缶ビールが散乱している。グラスには麦茶が飲みかけで置いてあった。ぬるいだろうな…これは。継ぎ足して飲むか。
 起きあがろうと手を布団についたら、なんだか生暖かい。ハッと思い横を見ると、数年前に毎朝見た顔が居た。床には私の服と上下色の違う下着、そして男性モノの服と下着。
 ーそうだ。昨日腐れ気味に入った居酒屋で元カレとあったんだ。
 ー私達は一目惚れだった。運命だと、神の手に引かれて出会ったのだと。今思えばそんなコトは、きっと無かった。実際は違うと分かっていつつも運命をもう少しだけ、信じてみたかった。3ヶ月の間よく出掛け、酒を飲み、お互いドキドキしながら過ごしたりした。その末に幸せを誓い付き合った。そうして私達は同棲までして、2人で慎ましく暮らしていた。私は当時25で、このまま結婚するんだと思っていたものだ。
 しかしある日仕事から帰って来たら玄関には見慣れない、嫌に赤いピンヒール。明らかに私のモノでは無かった。私は黒くて低めのヒールが好きで、目に見えて鮮やかな色は買わないのだ。
 玄関からでも聞こえる女の声。私が帰って来たのに気付かなかったのか?声は止まるコトを知らなかった。ずっと耳をつんざくのだった。悔しいだとか、怒りだとか、色んな感情が遅れているのか呆然とする様に見えて頭の中は至極冷静であった。そして私達のモノであった寝室に乗り込む気はさらさらなく、居間で2人がのこのこと出てくるのを、小説を読んで待つコトにした。きっと、終わったら水分補給にキッチンへやってくるだろう。そして、私とペアで買ったあのグラスへ、アイスコーヒーを注ぐのだろう。
 聞いていて分かる。私よりずいぶんと丹念にしているようだ。そんな声をBGMにして読む小説は普段より内容が入らなかった。こんな通俗な小説の内容よりも、私と赤いピンヒールを履くような女…どちらの方が丁寧に愛されているのかの方に興味が器に注がれていた。寝室から聞こえる途切れるコトのない吐息が私を余計に冷静にさせた。そうして20分くらいか経ってから寝室の扉の開く音がした。私はゾクゾクした。それこそ小説を読んでいる時クライマックスに迫っていく時の様な。
 2人は予想通り水分補給にのこのこ出てきた。まあ随分お熱いコト。服一枚纏っていない。私を見るや否や彼は狼狽え、ピンヒールの女は慌てて寝室に荷物や服を取りに戻っていった。女が動くと趣味の悪い女物の香水が鼻腔をくすぐった。女は寝室の扉を荒々しく閉めた。しばらくしてから、私は彼が怒鳴り散らすのを無視して、にこにこしながら寝室の扉を開けた。ピンヒールの女が焦りながらもようやく着けた下着のホックを右手で掴み、左手は女の荷物を持ち、そのまま玄関へと向かった。女と荷物、そしてピンヒールを外に放り出して鍵を閉めてやった。そのあと彼にビンタして言い訳も聞かず自分の荷物をまとめてヤケクソに外に出ていった。まあ実質その時別れたのだ。
 別れてからも時々連絡は取り合っていた。だからと言って復縁はしなかったし、お互いその話はしなかった。
 そんな元彼と私は居酒屋で再会し、呑みながら話をしていた。酔っていたからだろうか、あまり覚えていないが呑み直そうと私が家に誘い入れたんだ。迂闊だ。確か、寂しくて寂しくてみたいなコト言っていた。私の左耳を優しく撫でながら『前より綺麗になったね』『ん〜…ね、ほんとにかわいいね…かわいい…』なんてほざくコトもあった。
酔っ払った元彼はめんどくさかったが、断る気も、酔いのせいかなんだか無く…。
 だんだん酔いで意識が無くなっていくのが分かったが、一つ思い出せるのは…。
 酔いで眠った私を、元彼は布団に運んでくれたらしい。ふと目を開けた私に気が付いた元彼は私の頬に手を伸ばして、『ごめんねまだ愛してるよ…』と短く一言述べ、私の唇に唇を押し当てて来た。動く気力もなく、そのまま…だったのだろう。それからは覚えていない。
 …まぁ、なんだっていい。麦茶でも飲んで考えよう。床に落ちた服をざっくり着て、机に置かれた飲みかけの麦茶を持ち冷蔵庫へ足を運んだ。扉を開け麦茶を取り出し、継ぎ足して微妙な温度の麦茶を喉に流し込んだ。
 カーテンの隙間から昼の強い日が差し、部屋に光を一本描いた。その光は酒の空き缶に当たり、寝ぼけた私の目を眩ませた。私はまだ、この男を許してはいない。私の布団で私の残り香に包まれて眠るこの男はどうするか、少し、考えよう。
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