今日一日

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服の買い物に行った。暑さにやられて部屋で熱を覚ましてたらそのまま寝てしまって1日が終わった。つまり何もしていない。
就職活動しようとするといつもこうだ。indeedを見てはため息を吐いてぼーっとすることになる。本能が仕事したくないって言ってる。

少し買い物の話をしようと思う。私は小さい頃から大学に至るまで買い物が苦手だった。ぎゅうぎゅうに込められる人の思いという視覚的暴力というものが苦手でたまらなかったのだ。例えばパッケージデザインなんかがそうだ、派手な色に写真を使っていかにも買ってくださいと売ってある。不快だ。それを喜んで買う家庭像、押し付けられているみたいだ。わざわざ歩かせ、これでもかと疲れさせる動線。内容の割りに長すぎる。似たような服ばかり置いた洋服店。そしてついてくる店員。挙句の果てに泣き出す子供に笑う親に、外国人がごちゃ混ぜに存在している。不快を言わずになんと言おうか。でもどうしてかリスペリドンを飲んだあたりからその不快さは50%消えたので、幻聴と密接に関係していたのだと思う。

店で”若い子向け!”と歌う店には入れない。煩いからだ。何よりもセーブポイント(休憩室やトイレやカフェ)が常に混雑していて、入る気もならない。公衆便所で飯を食うより嫌な行為だ。ファミリー層ばかり行っているので、服がお洒落ではない。そう聞くと「もったいない。若いのは今だけ」だなんて期間限定商品のように言われることは間違い無いのだが、若い自分が不快だと思っている店が若い子向けの店であってなんてほしく無いのだ。逆だろう。”若い子でいたい!”と思っている自分はまだ若い層に入っている人間が好きなのだろう。湾曲した思考になってしまう。幼い子供が良く泣いている。泣くのは正しいのだ。こんな場所いるだけで不快になること間違いないのだから。

時々檸檬という小説を思い出す。百貨店に行き、何を買うでもなく鉛筆だけを買って帰る行為。これが私の求めているそれであり、あっちへこっちへ行って蠅のように蜂のように花粉のような商品を腹にまぶすような行為では決して無いのだ。鉛筆が買いたいという話ではない。経験を買うのだ。でもそれができないのなら店に行く価値がないとすら思えるのだった。

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