私の幸せって何?

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占い
クライアントは

すべて一つのものを

求めている

それは

「 私の幸せ 」だ



誰かの幸せを

願っている場合もあるが

その誰かが

幸せになることで

クライアント自身が

幸せになるのだから

結局は「 私の幸せ 」だ



ここから外れる

クライアントは

まずいないだろう

どんな希望であったとしても

「 私の幸せ 」から

外れることはまずない







しかし

これが曲者だ



そのクライアントは

その幸せを手に入れたら

どうなるのだろうか?

もしくは

どうなりたいのだろうか?



その幸せを通して

何を求めているのか?

それを解明しない限り

永久に幸せへの探究は

終わることはない



そして

その幸せを求めているのは

一体、誰なのか?



クライアント自身ではない

誰かが求めている

そう思って見たことが

あるだろうか?







それが

クライアント自身かどうか?

簡単な方法で判明する



その「 私 」が

いなくなったら

そのクライアントは

消え失せてしまうのか?



その「 私 」が

やって来る前に

クライアントは

この世にいなかったのか?



この両方の問いに

きちんと対応できれば

その「 私 」は

本物のクライアント自身だ



だが

そんな「 私 」は

この世に存在しない

これまでも、そしてこれからも

この存在することはない







それは

エゴへの同一化だ

それは

マインドへの同一化だ

それは

名称への同一化であり

それは

役割への同一化だ



先の二つの質問に

答えられないなら

それはニセモノだ

同一化している証拠だ



それはエゴであり

クライアント自身ではない

それはマインドであり

クライアント自身ではない

それは名称であり、役割であり

クライアント自身ではない



では

その「 幸せ 」を

心から望んでいるのは

誰なのか?



それを知ることからしか

スピリチュアルは始まらない

瞑想はそのための道具だ







あなたに

見えるものは

すべてあなたではない

インドの神秘家和尚OSHOは

そう言い切る



瞑想とは

あなたではない者を

見る練習だ



あなたに見える者

あなたではない者を

排除し続ければ

最後の残った者こそ

あなた自身だ



だが

それは観照者ですらない

あなたには見えない者

それがスピリチュアルの源だ



LOVE  Charam


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