レイキと人格者と手放し

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私は人格者ではない



私は

社会のシステムに

世間の条件付けに

道徳に、マナーに

評判に、人気に

向かって行動していない



私は行為者ではない



だとすれば

私が目指すところはない

私を通して

存在が、宇宙が、神が

目指そうとしているところへ

ただ追随者として

あるいは呼び水として

ここに在るだけだ



もちろん

私にもマインドはあり

エゴ(自我)はある

けれども

それらもまた

自分たちの仕事をしながら

神の追随者として

その役目を果たしている



私は人格者ではない



私は

存在に、宇宙に、神に

向かっている

私は

媒体としての

神の手としての

その役目を果たそうとしている



それは

ある時には

社会システムの条件付けから

大きくはみ出している

ある時には

道徳や良心のそれとは

大きくかけ離れている



しかし

その指針には

愛が介在する

約束やルールではなく

存在が結び付けようとしている

愛が介在している



愛はここに在る



それだけで

すでに十分なのだ



愛と共に在る



その他に

私の成すべきことはない

そして、すべての愛は

私を通して為される



私は中空の竹となる



レイキを習った人なら

簡単に理解できるだろう

あなたにレイキの能力はない

それは、あなたを通してやって来る

それは、あなたを媒体としてしか

機能しないのだ



その点では

レイキは核心をついている

もし、あなたがレイキストなら

すべての行動をレイキのように

行えばいい



あらゆることが

まるでレイキのように

あなたを通して為されていく



一杯のお水が

一膳のごはんが

一歩のあゆみが

その一呼吸が

あなたを通して為されている

そこに意識を向けるといい



その瞬間

あなたは行為者ではない

あなたは

それらを見守る観照者となる



瞑想とは

この練習法にすぎない

だから

瞑想はどんなゴールにも

連れていってはくれない

それは道具だ

それはカギだ

あなたは瞑想を使って

次なる扉を開ける必要がある



そのために

まず、瞑想から始める

そうでないと

次の扉は遠くなる

瞑想は次の扉への近道だ

それを通って行くといい



行為者は消え去り

観照者だけが残る

エンライトとは

その観照者すらも

超えた向こう側にある



行為者は消え

観照者すら消え去った時

あなたはいなくなる

あなたと宇宙を分ける

境界線が消えてなくなる



どこからが私で

どこからが存在なのか

区別できなくなる



あなたは存在となり

存在はあなたとなる

あなたは消えてなくなり

あなたは存在そのものとなる



これが

和尚禅タロットのいう

「 LETTING GO 」

手放しだ



LOVE Charam







和尚禅タロット協会主宰

OSHOトランスフォーメーションタロット協会主宰

neoファミリーコンステレーション©提唱者

スピリチャルトランスレーター

アナンド チャラム


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