はじめに

記事
学び
人は物心ついた位から自分の人生をどう生きるかを考え始める。18の高校卒業する年齢になってもなかなか自分の進路を決めかねる者も沢山いる。これには運命的な出会いがあれば早くからその道を進むことに決意しこれといった出会いがなければダラダラと人生を生きてしまうのが人の世の常だ。自分の人生を決める出会いとは例えば私のお袋がまだ小学生の甥子の手を取ってある踊りの会場に連れて行った時にその踊りに感動して舞踊家になる事を従弟はうっすらと決意したらしい…。その後、バレエの道を志しバレエの先生になってその人生を踊りにささげている。この例の様に何かに感動する出会いがあると人生というのは大きく変わる事があるものだ。だから良きにつけ悪しきにつけ色々見て歩くという事は重要な要素だ。自分の将来はどうあるべきか?自分はいったい何が好きなのか!何になら飽きずに続きけてやれるか?それを探すのが10代、20代の仕事で出会いの旅と言っても過言ではない。自分の場合は26歳で津軽三味線と出会いそれに半生を奉げる事になる。


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■音楽との出会い
自分が音楽をやり始めたのは確か中学3年位の時だった。自分の家も貧乏だったがそれに負けない位貧乏な松岡と言う同級生がいた。ひょんな事からそんなに親しくない松岡の家に立ち寄った時だった。彼は奥から安物のギターを持ち出してきてクラシックギターでトレモロの名曲「アルハンブラの思い出」を弾いて聞かせてくれた。
当時何の取り柄もない自分であったが自分と同じ位松岡も取り柄がない人間だと思っていたが彼がこんなにも名曲を弾きこなしていたのにはものすごく驚いた。
■第一の出会い
自分の人生の中でこれがまず最初に経験した音楽との出会いであった。松岡はギターの通信教育のセットを購入して勉強していたのだ。
ギターといっても広く一般的な若者がやりたがるフォークソングやエレキギターには全く興味がなかった。とにかくみんながあまりやらない特殊なジャンルに興味を示す方だった
■直ぐに行動
自分も早速に通信教育で習う教材を母親に頼んで金を出して貰いそれをもとにギターを練習し始めたのである。それと同時に当時日本のフラメンコ界では第一人者と言われていた伊藤日出夫氏にフラメンコを日吉のご自宅まで習いに通った。

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津軽三味線
■結局10代の頃から始めたギターも26,7歳くらいまで続けていた。然し、その後好きだったギターもぱたりとやめてしまう。
やめてしまった理由と言うのは当時自分の仕事はトラックで印刷用紙を運ぶ仕事をしていてギターを弾く為の指の爪がしょっちゅう欠けてしまう事態が起こった。ガットギターはピックを使わず自分の爪で弾くからだ。度々爪が割れてしまうのもギターが嫌になる理由の一つになった。然し津軽三味線はバチを使うので爪を伸ばす必要がなかった。
高橋竹山のレコードとの出会い
20歳で自分は結婚し毎年家族で女房の実家である山形まで夏休みに1週間ほど帰省していた。そんなある時に女房の親父さんが民謡の好きな人で津軽三味線の名人と言われた「高橋竹山」のレコードを持っていた。暇に任せてそのレコードを聴いてみた。”デデーンデンデン、ツクテンテンテン…” 横浜生まれ横浜育ちのいわゆる都会人の自分にとっては今までに聞いた事がない音だった。これが第二の津軽三味線との出会いとなる。
これによってギターから津軽三味線へと趣向が方向転換をすることになる。然しフラメンコギターと津軽三味線とは非常に似通ったところがありフラメンコはスペインのアンダルシ地方のジプシー民謡。かたや津軽三味線は青森県津軽地方だけに伝わる文化でフラメンコとは良く似ているのだ。だから津軽三味線という世界はすんなり自分に入ってきた。
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■好きこそものの上手なれ

 没頭できるものを探す!
山形で初めて津軽三味線のレコードを聴いてから横浜へ戻って早速に電話帳で三味線を教えてくれる先生を探した。先ず琴や三味線を販売している和楽器店に尋ね、店主からある若い先生を紹介してもらう。1番最初に習ったのは宮城県の民謡で斎太郎節と言う一般的な民謡だった。最初から難しいじょんから節などは弾けるわけもないので先ずは簡単な指遣いのいわゆる平ものと言う曲からスタートした。
好きこそ物の上手なれという言葉がある。この諺は誰でも好きなことは一生懸命になり上手になるという意味だ。この言葉が意味する通り三味線をやり始めてからは仕事から帰宅しても毎日3時間は練習をした。当時家族で大手スーパーマーケットに買い物に行った時でも自分は車の中に三味線を持ち込んで家族が買い物をしているあいだ練習をしていた。また家の2階の部屋の箪笥(たんす)に背中を寄りかけて練習に没頭していると奥さんに肩を叩かれただけで飛び上がるほどびっくりした。
つまり人の気配に気づかぬほど演奏に没頭していたのだ。自分にとって好きなことと言うのはこれほど熱中するものである。だから自然と演奏のテクニックも上達してそのうち師匠と一緒に舞台を歩く様になる。結論、夢中になれるものを探せ!
耳の悪い人は歌も楽器も上手になれない
以前にギターをやっていたせいもあって音感のほうは悪くはなかった。ギターでも三味線でも演奏を始める前に調弦をしなければならない。微妙な音の違いを聞き分けられないと正確な調整ができない。だから音感が悪い音痴な人は楽器でも歌でも上手くはなれないのだ。音感には絶対音感と相対音感とがある。絶対音感とはドアのノックをする音が「レ」の音だと分ったり相対音感とは二つの音が同時に聞こえた時にどちらの音が高いかとか基準の音名を言い当てるスキルの事だ。幼少の頃からピアノをやっているとこういった音感を鍛える事が出来る。自分もピアノを弾くようなそんな家庭に生まれていたなら人生も変わっていたかも知れない。
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■臆病な自分との闘い

自分は元来生まれつきの臆病者である。生まれてから30代になるまでとにかく臆病で人前で歌を歌う事も恥ずかしくて歌う順番が回ってくる時などぶるぶる震えているほど酷かった。
20代で用車で務めていた会社の宴会で一人ずつ歌わされる羽目になり人前では自分をさらけ出すことなど到底出来る人間ではなかった。スナックに飲みに寄った時でもホステスの女性とすらしゃべる事が出来ないほどでママさんからは随分おとなしい人ねと冷やかされていたものだった。
そんな男として意気地の無い自分を変えたのは芸事を始める事によって変える事が出来たのである。
■自信が度胸を生む
しっかりと自分の身につけた芸というものは自身を助けてくれるものである。だから何事も一生懸命にやりそう簡単に人には真似の出来ないほどの芸やスキルを身に着ける事が肝心だ。中途半端では駄目だ。ほ~、凄いね~と言わせる事だ。
実は一見臆病と思われる人と言う者でも目立ちたい気持ちと恥ずかしい気持ちとが競り合っているのだ。才能というものは誰しも潜在的に持っているものでそれをうまく自ら引き出してやることが肝心だ。だから十分な勉強と練習や稽古が自分に自信を付け何事も臆病だった自分を前に押し出してくれるようになるのだ。
■プロフェッショナルとは…
それには歌でも踊りでも楽器でも運動でも絵画でも書道でもプロになりたいと思ったら1日3時間以上は勉強、練習しなければ駄目だ。やる人は寝食を惜しんでやるしそれが好きな事であれば苦痛にはならず何時間でもやれるものだ。プロフェッショナルというのは通常人が働いている時間を練習や稽古を積み重ねている。だからプロなのである。
フラメンコ界の巨匠と言われたカルロス・モントウヤは誰かお客が家に訪ねて来た時でもギターを離さなかったという逸話がある。また日本で初めて国際的に活躍したプリマと評され、「東洋の真珠」と謳われた森下洋子も一日どれくらい練習するのですか?と聞かれた時に毎日8時間は練習すると言っていたそうである。だからこそ日本人で世界のプリマドンナになれたのである。
■自信が無い !
よくいろいろな場面で誰かに自信がありますか? と聞かれて、”いや~自信が”ありません”と言うのは練習の絶対量が足らないと言うことだ。つまり100回練習しなければいけない事を50回しかやっていないという事が自信の無さにつながっていく。これでもかと飽きるほど練習や稽古を積むと自然とそれが自信となり俺の私の演奏を、歌を、パフォーマンスを見せてやるぞ!になっていく。つまり自信をもってやれるという事になる。読書100篇、その意自ずから通ずである。
■ストリートライブ!
歌でも踊りでも演奏でも自分の実力を試すには路上ライブをやるのが一番だ!駅前など人通りの多い場所を選んでやってみると良い。多くの聴衆の耳は決して馬鹿ではない。本当に実力のある演奏や歌声は人の足を止めるものだ。歌でも演奏でも人の耳に心地よいものであれば道行く人の足が止まり聞いてくれるしお賽銭も投げ入れてくれる。
私の場合でも花見の時期に上野公園の入り口付近で津軽三味線の演奏を二人でやり、あっという間に1000人近くの人だかりが出来て上野警察の私服刑事が自分達の所に来て「君たちもう少し後ろに下がってやってくれないか!」と言ってきた。それは公園入口から上がってくる通行人が多くの人達が我々の周りを囲んでいたので通行の邪魔になっていたからだ。
この様に通りすがりの人達が聞いてくれる見てくれるという事は自分の実力を認めてくれている事に他ならない。人様の心を感動させなければ例え1円の金でも投げ入れてくれないものだ。だから路上ライブは実力試しにはもってこいの場所なのだ。

儲(もう)けるとは…!
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儲けると言う漢字はもともと「信」じる「者」と書く。つまり自分の周りに集まる(信者)ファンの事だ。そのファンをたくさん集めることによってお金も儲かると言う訳だ。例えば私もたまに食べに行く家系のラーメ店は若い人たちにも人気があり沢山のファンがいる。また東京慶應義塾大学のそばにある本店ラーメン二郎にはいつも若い大学生が列を作って待っている。

1日メンチカツを500個以上売り上げる惣菜屋さんもニュースでやっていたことがある。このようにいろいろな商売においてたくさんのファンを持っているお店は数知れない。人は本当においしいものを食べると記憶の中にその味を覚えさせるものだ。だからまたあの店に食べに行こうと言うことになる訳だ。

こう言うリピート客が増えることはその店がたくさんのファンを作った事になる。沢山のファンを引き付ける魅力を持つという事はやはり並大抵の努力では駄目だろう。


これは芸の世界でも同じ
もしあなたが芸事の世界に身を置く事を考え一流の演奏家や一流の歌手として身を立てたいならそれ相応の勉強と稽古を積み重ねる努力が必要である。またいい先生と巡り会い教えを乞うことも必要だ。埋もれたダイヤモンドも磨かねば光らない。歌でも演奏でもやはり公式なコンテストに優勝していくことが重要だ。それが社会に認められていくことになり多くのファンがあなたに着くようになると必然的に社会的な地位や経済的にも潤うことになる。それが儲かると言うことだ。

コンテストに出て優勝を勝ち取る
もしあなたが将来メジャーな歌手になりたいと思っているのならやはり色々なコンテンストに出場して優勝を目指さなければならない。
それは世の中には自分より優れた人が一杯いるからだ!その優秀な人達を制して自分が上位に立てばあなたの歌唱力は本物だと言えるだろう。それがトーナメント形式なら最初は下からスタートして順々に勝ち抜いていくあいだもそれを多くの観客たちが見ている。
私の知り合いの一人に当時まだマイナーの「平成の女流し・おかゆちゃん」という歌手の子がいた。彼女は今時流行(はや)らない昔のスタイルで全国の飲み屋街を飛び込みで流していた。そんな噂を聞いた私も彼女と連絡を取り東急大倉山駅で合流し近所のスナックを一緒に廻った事がある。私も津軽三味線で日本全国の飲み屋街を流して歩いた一人なので飲み屋街に関しては彼女同様明るいのだ(笑)

そんな彼女も2017年テレビ東京の番組「ザ・カラオケバトル」で2週連続優勝を果たしメジャーデビューしたのである。その後NHKの番組で一流歌手の郷ひろみや五木ひろしなどとも共演を果たし彼女は夢の実現に一歩踏み出したのである。その時点で彼女はまだ20代後半であったからこれからの30代・40代は更に磨きをかけて人生を突っ走っていく時代なのだ。彼女のこれからの活躍に期待したい。
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■夢のある人、無い人
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世の中の人は十人十色という言葉がある。確かに色々な考えかたの人がいる事も事実だが究極を言えば「人は夢のある人と夢の無い人」の二種類しかいないとも言える。
つまり夢のある人は「面白い場面、面白い人達、面白い場所」のある事を知っている。夢の無い人はそれを探そうとしない横着者である」と。
10代、20代であるあなたは「井の中の蛙」では駄目だ。これは丸い井戸の中で生涯を暮らすカエルの事を言っている訳だが外の世界がどんなものであるかを知らずにその一生を終えてしまう例えだ。私は息子にも小学生の頃に少しでも見識を広めさせようと小学生グループで中国を旅する企画に参加させた事がある。逆に私の長兄はもう70代になっているが海外に出た事は一度も無いまさに井の中の蛙なのだ。最も兄貴にはそんなチャンスが無かったとも言えるが…。
片や私は中国、韓国、ヨーロッパ、アメリカと世界を旅してきた。始皇帝が作ったあの万里の長城にも行ってきた。中国皇帝が暮らした紫禁城も中に入って見て回った。それでもまだ見ぬエジプトのピラミッド、ドイツのアウシュビッツ強制収容所など歴史遺産の残る場所へ行きたい所が山ほどある!(笑)
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兎に角、歴史で有名になった場所には歴史を勉強した上で旅したい。そうするとより旅が楽しくなり味わい深いものになるからだ。歴史を知らないと有名な場所を訪れても何も感じる事無く通り過ぎてしまう。これでは旅してもあまり意味がない。歴史のある場所であれば先人たちがその時代どう生きた場所なのか目をつむってタイムスリップするのだ。
自殺なんてもったいない!
私は自分の人生が面白くて仕方がないと思っている。毎日生きるのが楽しくて仕方がない。未だ若い内に人生を悲観し自殺してしまう人達がいる。これもその人の宿命なのかも知れないが実にもったいない話である。何故なら人はどんなに嫌だと駄々をこねても必ず死と言うものが着実にやってくるからだ。
だったら面白楽しく人生を全うしたほうがいい。といっても苦労を恐れ享楽のみにふけってやたら大切な時間を無駄にしていけばそれなりの報いがやってくる。因果応報だ。

■時は金なり!
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少年老い易く
若い頃は人生とは途方もなく長い時間があると思っていた。自分のこの若さは永遠で歳をとらないとさえ思っていた時がある。でも60代になると意外と人生はアッという間に過ぎてしまった事に気づく。60歳という還暦を迎えたらもう人生の最終章に入っていく。

あの有名歌手・西城秀樹も急性心不全で63歳で亡くなった。名俳優の大杉漣さんも66歳で同じく急性心不全で亡くなっている。もしあなたの年齢が55歳だとして63や66歳くらいの年代でこの世を去るとしたら時間は幾らも残っていないことになる。まさにあの織田信長が出陣の時に舞う敦盛(あつもり)で「人間50年、下天の内にくらぶれば、夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり」と言うように人生は長い様で意外と短いという事だ。そうぐずぐずはしていられないのだ。

10代の時代はあっと言う間に過ぎ去り20代になって結婚し家族という形態を維持する為に30代、40代を突っ走て生きて来た。20歳で結婚し35歳までトラックの運転手をやりながら家庭を支えたが雇われる身ではなく自分の芸を活かした独立ビジネスを興し始めた。

独立商売
独立ビジネスをやるにはいろいろな面で勉強が必要だ。会社というバックボーンが無くなればすべて自分で動かなければならない。販売、営業、経理と経営、宣伝活動など多岐に渡る。社長業と言うのはその道のスペシャリストでありゼネラリストでなければならないという。

自分にはとても独立ビジネスをやる才覚や度胸が無いというのであればサラリーマンが安全である。安定した収入は確保できるが然し自分にとって二度と戻らない時間を切り売りするという事と引き換えになる。そう自分が勤める会社に時間と体を売っているのだ。その代わり会社は安定した給料という形で報酬をくれる。

人生をどう生きるかそれは自分次第。独立ビジネスで成功して金持ちになれる可能性もあれば失敗してホームレスになるかも知れない。波乱万丈の生涯それも一度の人生いいかも知れない。



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