なぜか・なんとなく・とりあえず に乗っかってみる

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こんにちは。うららです。

『なぜか』出てくる体の反応や
『なんとなく』そんな気がする感覚に
『とりあえず』したがってみると、

サインがやってきたり出来事が起こったりして、
絡まっていたものがスルスルほどけていくような、
思いがけない展開を経験することがあります。

かなり以前から使っている備忘録ブログを整理していたら
こんな記録が出てきました。

2016年5月
ガス・ヴァン・サント監督の映画『追憶の森』を見た。
好きな監督だけど感動しなかった、傑作とは言えなかった。

しかし、エンドロールが終わる頃になって

「ごめんなさい、私が悪かった」と泣きじゃくる
主人公の姿を思い出し、どっと涙があふれた。

えっ、なんで? と驚きながらも泣いていたら
<まだそんなに自分を責めてるの?>
という言葉が浮かんできた。

帰宅後、
「ごめんなさい、私が悪かった」と繰り返したら
何か出てくるかも…と思って、やってみた。

結果は、みごとに寝落ち。
この件は深堀りせず、そっと心の片隅に置いておくことに。


その10日後。
なぜか続けざまに複数の人たちが脳裏に浮かんできた。

みんなわたしの「嫌いな人」だった。
嫌いというか「どうでもいい」人。

の、はず、なんだが……

え? もしかして、わたし恨んでる?
恨んじゃってる?
いや、まさか。もうどうでもい(はず)。
二度と会うことのない人たちだし、そこまで強い関心はない(はず)。

——などと考えていたら、なんだか久しぶりに
リズ・ブルボー著『からだの声を聞きなさい』が読みたくなり、

「今もっとも読むべきページはどこ? 」と唱えて本を開くと
<第6章 恨みと憎しみからの解放>
と、書いてあった。


それから約3週間後。

友人に誘われて、あるイベントに参加。
そこで、主催者からSさんを紹介された。

驚いた!
わたしの心の『うらめしやリスト』に
ずっと前から入っているSではないか!

月に1回たまたま顔を合わせる程度の付き合いだったが、
彼女はなぜかわたしを嫌っていて、いつも敵意むき出しだった。
共通の友だちにわたしの悪口を吹き込み、
「あんな女と付き合うな」と言ったのも知っている。

それなのに、このとき会ったSさんは
わたしの記憶にある彼女とは、まるで別人だった。

なんなんだ、この明るくて楽しくて、ものすごく友好的な人物は???

彼女はわたしをまったく覚えていなかった。
後になって考えると
「いじめた方は忘れても、いじめられた方は一生忘れない」
ってやつ。

ただ、そのときは
“あのSさん”が、今、ここに、存在してない
という衝撃が大きすぎて、過去を蒸し返そうという発想が
まったく出てこなかった。

過去と現在のつながりが、わたしの中でプチっと切れた。

20年越しの『うらめしやリスト』から
Sさんの名を消すことができる、と
確信した瞬間だった。

『なぜか』『なんとなく』『とりあえず』
これらはすべて、自我を超えたバイブレーションです。
エゴの判断・感情が入っていない、高い波動です。

エンパスなればこその共感性・感じやすさを
こうした波動と同調することに使ったら……

どんな展開がやってくるでしょう!?

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ちなみに。Sさんのこと、わたし今でも嫌いですよ(笑)。

嫌いなままでも、ゆるすことはできます。
ゆるすために、好きになる必要はありません。

誰かを・何かを嫌いだと、
好きではないと感じるのは
まったく自然で無害なことです。

そこに罪悪感や攻撃性をくっつけるから
苦しくなるんです。


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