ポートフォリオ Sandsanとはこういう人です。

記事
コラム

ご挨拶

 改めましてSandsanです。1999年群馬県生まれのテキサス育ちの帰国子女です。現在は慶応義塾大学に通いながらフリーランスで翻訳家をしています。まだまだ若輩者ではございますが英語の知識では絶対的な自信があります。ポートフォリオですので少しばかり自分の半生について語らせていただきたいと思います。

アメリカという故郷

 私は群馬県生まれですが、二歳で父の仕事の関係でアメリカに渡りました。正直その頃の日本にいた記憶は皆無なので自我が芽生えたのはアメリカに渡った後だといえます。そのため、私にとってのありとあらゆる「常識」や「普通の感覚」はアメリカのものが下地になっています。
 ただ、両親は日本人ですし、家ではすべて日本語で日本的な生活をしていたため自分は「日本人」だという感覚はずっとありました。外では英語、アメリカンな常識の下、家の中では日本語でジャパニーズな常識の下、二つの世界を行き来する毎日でした。どちらにも属するという不思議な立ち位置にいた自分はおのずと世界における日本人の立場や評価を肌で感じることになりました。
 自分のいたテキサスは州全体としては南部の州だけあって、保守的な傾向が見受けられますが、幸い自分のいた地区は非常に治安が良く政府から小学校が表彰されるほど非常に恵まれた環境で幼年期を過ごすことができました。人種差別もなく、実力が正当に評価されるアメリカの良い面ばかりを享受して育つことができました。

日本という新たな土地

 幸い日本語が問題なく喋れた(ハズな)ので、新しい友達たちとも仲良くなることができました。今でも一番最初に出会った友達とテレビゲームをするくらい仲がいいです。少しばかり「常識」の違いはありましたが基本的にはうまくなじめて、高校でも充実した時間を過ごすことができました。受験戦争を潜り抜けなんとか慶応義塾大学法学部法律学科に一般受験で合格することができました。
 海外育ちではありますが、10歳以降を日本で過ごしているためあまり帰国子女っぽいと言われません。日本人のマナーと常識と時間を守る意識などのプロフェッショナリズムは世界で断トツだと思っていますし、そういった国の国民であることを誇りに思います。

日本人代表という感覚

 海外では、特に自分のいたアメリカでは、様々な人種の人がいます。彼らは髪の色も、肌の色も、体格も違えば、話す言葉も、文化も、宗教も違います。人によっては同じ地球に住んでいる同胞だとは信じられないほど全くすべての面において自分と違う人もいます。それでも社会は成り立ち、問題なく機能しているのです。日本ではまず体感できない感覚だと思います。
 また、個人を識別するとき、日本であれば名前や職業、所属する学校などのくくりで分けると思いますが、海外ではその前に、アジア人、日本人という大きなくくりでも見られるのです。つまりその人にとっての「日本人像」にあなた自身が大きな影響を与えかねないのです。幸い日本人は礼儀正しく、シャイというあくまでもポジティブよりのバイアスをかけられているので最初から嫌われることはありませんが、もしかすると自分の行動で相手の中の「日本人のイメージ」を悪いものにしてしまう可能性があるのです。そうするとその人が次に日本人に出会ったとき、マイナスな感情を抱いてしまうでしょう。
 否が応でも日本から出て、海外に降り立った時点で「日本人代表」になってしまうのです。一つ一つの振る舞い、態度、言動が周りにいる人たちの「日本人のイメージ」に大きな影響を与えているのです。

シンガポール

 父はシンガポールに約4年ほど勤務していました。その期間に何度か訪れましたが、非常に良い経験ができたと思います。シンガポールはマレーシアから独立して、新生都市国家としての計画を練る際「ルック・イースト」というプロジェクトがありました。東を見る、つまり日本をお手本とするという意味です。そういった経緯もあり、シンガポールではジャパニーズは歓迎され、リスペクトされる存在になっています。
 第二次世界大戦中侵略者として描かれがちな日本は特定の人の視点から見れば日本進駐によって欧米列強から解放されたと考える人も実は少なくありません。無論戦争で侵略、略奪した事実は消えないものであって決して擁護できるものではありません。しかし、アジア唯一の列強としてアジアの代表として欧米に立ち向った日本という国があったことも忘れてはいけないと感じました。

将来の夢

 私は昔からサッカーが大好きでほぼ毎日海外サッカーの試合を見て、サッカー関連の記事を読み漁っています。先ほどは誰もが「日本人代表」などと大きな話をしてしまいましたが、一番多くの人の印象に影響を与えるのは目立つ有名人です。私は日本人のサッカー選手が海外に進出し、活躍できるようにするために、彼らのサポートをするサッカー選手の代理人になりたいのです。
 現在翻訳業をフリーランスで行っていますが、日本と海外の最大の障壁となっている語学の壁を少しでも取っ払えるように知識や学習方法を広めていきたいと思います。オンラインで世界中がつながっていく中、日本も、言語のハンディキャップなく、すべての人が思うがままに自己表現をできるような世界を築くことが夢です。言語の壁が原因で失敗してしまう、夢がかなえられなかったという人をゼロにしたいのです。その第一歩としてサッカーという世界的な文化を通じて日本人が活躍できる場を広げていきたいと考えています。

経歴の概要

1999 群馬県に生まれる
2001 渡米   
2004 Beverly elementary school入学
2010 帰国
2012 英検準一級合格
2015 英検一級合格
2015 特待生として開智高等学校高等部に入学
2018 慶応義塾大学に合格、入学
2019 Coconala開始

最後に一言

 ありとあらゆる壁をなくし、すべてがつながる世界に!!

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す