失う悲しみ、真の喜び

記事
コラム
外出すると、必ずといっていいほど、
犬を散歩してる人たちに出会うのです。
エレベーターの中でも、
かなりの確率でワンコ連れが乗ってきて、
お行儀よくお座りをしています。


しっぽを振りながらすり寄ってきたら、
ナデナデせずにはいられないし、
そうすることで、飼い主さんも喜んだり。

コロナ禍の最中に、
知らない人が自分の犬に触れるのって嫌じゃないのかな。。
と思うとナデナデを遠慮したくもなるのですが、
撫でていい?と聞いてNOと答える人はいないし、
聞かずにナデナデする人の方が多いかんじです。





大都会とは呼べなくても、
庭つきの家に住んでいる人が少ないダウンタウン・エリアなので、
どのワンコたちもよく躾されて礼儀正しく、
行きかう人や他の犬に吠えることもなく、
ベビーカーに乗せられて、
まったりしているワンコも珍しくありません。


息子がまだ幼児だったころ、家族で片田舎に住んでいた私達の家には
大型犬が1匹、可愛い猫たちが3匹いて、
そのうえ夫婦で1頭づつ馬を所有していていました。
愛馬は近所のステイブルに預けて世話と運動を任せていました。

なかなか賑やかな日々でした。

でも、それぞれのお別れは辛かったです。。。。

ペットを飼ったことがあったり、
愛する人との死別を体験した人なら持っている
心のヒリヒリした部分がまだそこにあるのですが、

こんな言葉を、本の中で見かけました。



心の世界は相対的なもので、
すべては関係性の中で成立しています。
あなたが何かを手にして喜ぶなら
そのときすでに失う悲しみが生まれています。
その悲しみには、いずれ向き合わなければなりません。
By 『古典ヨガの基礎知識』


ペットにかかわらず、
子供だっていつかは家から巣立っていくし、
親友だって引っ越してしまったり、愛着ある家や仕事を手放したりと、
人生にはいろいろな別れがあります。

失ってその大切さに気付くのではなく、
今という貴重な時間を大切にしたいものですね。

ただ、失う、といいっても
必ずしも永遠的なことではないし、執着する必要すらないし、
たとえば巣立ちなどは喜ばしいことなので、
さらなる喜びにフォーカスすればいいだけのこと。

私達は心に翻弄されているのです。
家族に恵まれると、
今度は、『自分の趣味に打ち込める一人の時間が欲しい』と願います。
そのような心の働きは一体いつ止むというのでしょうか。
あなたの心はいつ満たされるというのでしょうか。
By 『古典ヨガの基礎知識』


たしかに、ペットや家族に囲まれて愛ある暮らしをしていても、
犬猫の世話が大変!育児が大変!
と、げんなりすることもあります( ;∀;)

たいていの場合は本気でそう思ってはいないだろうとはいえ、
それが悩みの種になってしまってきたら、
原因はそうしたことではなく、
自分の心の在り方にあると気づいてください。


そうすれば、
今ある幸せをもっともっと楽しむことができるし、
そのうえで、それに執着しない生き方ができたら
本当の意味で幸せになれるのです!


とはいえ、
最初からそれが完璧にできる人生などなかなかないだろうし、
私もそういう意味ではブレまくりだったけれど(;'∀')
そして、これからも、
そうしたことはたびたび起きるのだろうけれど、


あちこちでコケながら、学び成長していく。
良いことも、辛いこともひっくるめて、人生というものを楽しんでいく。
というのが、エイブラハムの言ってる本質的なことなのですね。








私は、それは完全に癒されなくてもいいから
大切にしたい。と思っているし、
父やペットの死を思い出してヒリヒリしてしまったときは
ホ・オポノポノを唱えて
愛と感謝、許しと手放しの波動を感じるようにしています。













愛犬と一匹の猫が虹の橋を渡ったときのことは、
キンドル本にもちょこっと書きましたが、
かなり辛かったので、今でも思い出すとすぐ涙が出てくるほど。









そんな光景を目にしているので、
ワンコか猫をまた飼いたくなってくるのですが、
実際にそうしたいのかと思えば、なかなか腰もあがらず。

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す