名曲「荒城の月」のモデル 岡城跡の「城ピアノ」

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「春高楼の花の宴」から始まる滝廉太郎の名曲『荒城の月』は彼が少年時代を過ごした大分県竹田市にある岡城跡を想い起こしながら作曲したといわれています。その岡城跡にある二の丸便益施設内に「城ピアノ」が設置されています。
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このピアノは竹田市内の宮城台小学校という廃校になった学校で使われていたアップライトピアノ。岡城跡を訪れる市民や観光客に、音楽を身近に感じるとともに、滝廉太郎に想いを馳せてもらいたいと願って設置されました。ピアノには「荒城の月」をはじめ、滝廉太郎が作曲した曲の譜面が置かれていて、譜面を見ながら弾くことができます。

このピアノは竹田市内の宮城台小学校という廃校になった学校で使われていたアップライトピアノ。岡城跡を訪れる市民や観光客に、音楽を身近に感じるとともに、滝廉太郎に想いを馳せてもらいたいと願って設置されました。ピアノには「荒城の月」をはじめ、滝廉太郎が作曲した曲の譜面が置かれていて、譜面を見ながら弾くことができます。

この「城ピアノ」は街中に置いてあって、誰でも自由に弾くことができる「ストリートピアノ」の一種。「ストリートピアノ」の発祥については、色々な説がありますが、イギリスの「Play Me, I'm Yours」という名で始まったプロジェクトによって、ストリートピアノを設置するという活動が展開され、世界中で設置されるようになりました。NHKでは「駅ピアノ」「空港ピアノ」といった呼び方で世界の街角に設置されている「ストリートピアノ」が紹介されています。

明治時代の「廃城令」によって、城の建物は全て取り壊され、現在は勇壮な石垣を残すのみの岡城跡。少年時代を竹田城下町で過ごした滝廉太郎はよく岡城跡に登って遊んでいたといわれています。城跡内の光景はおそらく滝廉太郎が見た当時と変わっていないかもしれません。

当時、「不治の病」といわれた肺結核によって23歳の若さでこの世を去った「悲劇の天才作曲家」。岡城跡は哀愁に満ちた曲のメロディを想い起こしながら歩くことができます。二の丸便益施設内には自動販売機や椅子もあります。岡城跡は東京ドームの20個分以上の広さ。一息ついて、ぜひ「城ピアノ」で「荒城の月」を弾いてみてはいかがでしょうか。

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