何げなく見えるが実は多大な努力 (犠牲?) の結果である

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ビジネス・マーケティング
今まで知らなんだ、ということに気づかされるのは、単に忘れているだけなのか、これまでたまたま知る機会がなかったのか、という風に悩むのはもうしないけど、これもありがちな話だが、「やっぱり」という印象を受けたニュース。
なぜ、海外の日本食屋で食事にいくとこんなに高くつくのか、という素朴な疑問。もちろん人件費でしょう。レポートによれば、都内のスタッフの最低時給が1013円なの対し、カリフォルニア州のとある飲食店では店員に1600円を支給しているそうだ。その証拠に、従業員は広いキッチンスペースでその場で仕込みや調理を行い、料理の仕出しの際には、テーブルでおしぼりや薬味等のサービスを提供する一方、日本の店はスケール・メリットをいかそうとセントラルキッチンで調理し、注文や食べ終わった皿の回収は基本セルフサービスで、人手が合理化されている分、ペイに反映されているという仕組み。
そこで疑問がわいた。海外で出店する場合の人件費とは別に食材や材料、扱う品目に応じた器具の取り寄せで関税の関係もあるはず。だから、その分をまかなう必要性を考えた上での値段設定なのは分かる。
それでは、国内でのサービスがこの賃金でまかなわなければならない理由はどこにあるのか。日本食なのに「海外並み」のサービスを求めている人は、国内の飲食店では店側がスタッフにいくらぐらい払っている店にいけば相応のサービスを期待していいいものか。老舗や高級店に行けばいい? 
そもそも、パイの大きさが違うよ、という話ほど単純な話でもなくはないとも思えない。何でもデカけりゃいいというわけでもないが… でもコスト削減だけやっていればいいわけがない。いまを間に合わせるだけではお客もいつまで続くやら。ガラパゴス。
そんな待遇を受けたことない、知らぬが仏ではないが、その部分だけを切り取って比べてみたら、「先進国」(?) ながら貧しい、お寒い、わびしい経済だと思う。侘しいとすら感じない侘しさ。裕福であることは、豊かな暮らしをするための十分条件であっても、必要条件ではないかもしれない。知恵を絞って、やり繰り次第で見方や見え方も変わる。
で、いま雲丹が飛ぶように売れている場所がある話。海外だが、航空会社が商社と一緒に起こした会社が国内の**倍の値付けで売っているが、消費者は値段を気にすることなく、海苔巻きで食べる様子をSNSにアップしたりしている。その地域では2000件ほどの日本食屋があるようだが、このご時勢なので、自宅で楽しみたいという層をターゲットにしているそう。その他のエリアでは手書きの看板に、北海道産のものが本日のおススメメニューのトップの目につきやすい位置に表示。
流行っているうちは良いけど、もう少し国内の需要とのバランスを考えてやりはったらどうですか、というコメント。これも目先の利益にとらわれがちなところが出た例でしょうか。ニッチを狙って「あわよくば」よりも、じっくり腰を沿えて地道にコツコツ設備投資なんて悠長なこといっていたら、つぶれてまうのはみんな百も承知だろう。時間も客も待ってはくれない。
だからこそ、という風に逆な発想を取るには覚悟がいる。オッズは低い。それでも、誰かのためと思えるなら、やる価値はある。そう思える人どれくらいいるか?莫大な国内の預金額を減らさない限り、マーケットは広がらないし、やる気がある人の機会損失は増えるばかり。
貯め込んだ資金にあぐらをかいている同族企業は多いと聞きます。留保課税のために、知らぬ間にせっせと働いているうちは、私たちもそうした企業の存続を間接的にサポートしているのでは。留保金課税について、一般にどれ位知られているか。(一定の内部留保を必要とする中小企業を配慮し、控除額を引き上げ) 法規制をかいくぐって株主へ配当せず (;「平均的」な額にとどめる) に社内留保する額が増えれば、それだけ取引機会のロスにつながると思えてくる。こんなぬるま湯だと代謝もまともに機能しないだろう。健全とは思えない。トラベリングもいいとこ。traveling《バスケ》〔ボールを持ったまま規定以上歩くこと。〕ボールは還元(パス)しないと試合は進まない…
これは上記のコスト合理化、時給とサービスの質との関係とは無関係ではないと思っている。まじめだなぁ。出る杭は打たれることは少なったと思いたいけど、デフレ・スパイラルは中々しぶとい。
[つづく]



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