【導かれていることを信じる】

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日常的スピリチュアル、安田です。

私たちの歩みというのは
良くも悪くも導かれています。
導きというのは
必要なことを体験
経験するために
導かれるのです。
何が必要なのかは
人それぞれで違うので
他の人、周りの人と比べても
意味がないのです。
導きの中には
体験したくないこと
経験したくないこと
あるいは
感じたくない感情を
感じるという
導きもあります。
「導かれる」というと
良いことだけが起こるような
印象がありますが
どんなことでも
導かれることで
体験することができ
経験することができるのです。
自己責任の観点から見ると
責任を全うできないことで
経験させられているようなこともありますが
責任を全うできないことだけで
経験したくないことを
経験しているのではありません。
起きる出来事というのは
特定のことだけが
原因ではありません。
そうせざるを得ないように
導かれることもあるのです。
「引き寄せの法則」を
間違って解釈してしまうと
自分にとって
都合が良いことだけを
引き寄せようとしてしまい
都合が悪いことは
自業自得だと解釈してしまうのです。
私たちに必要なことは
自分にとって都合が良いことだけを
引き寄せることはできないのです。
何が必要なのかは
自分の都合だけでは
分からないのです。
歴史的なことを
背負う場合もあるので
体験したくないこと
経験したくないことも
引き寄せることがあります。
使命が大きい人は
試練も大きいのですが
宇宙から信頼されているし
神様から信頼されているので
試練を担当することもあるのです。
ただその試練は
いじめ的な試練ではなく
必要な試練として
与えられるのです。
自分の都合の基準で見たら
必要なことのように見えないのですが
成長に必要なことが
与えられるのです。
試練を与えないと
成長ができない人がいるので
自分の都合の基準では
考えられないことが
起こることもあります。
私たちにできることは
出来事をどう解釈するか
だけなのです。
都合が悪いことが
起こったとしても
勝手に都合よく
解釈できればいいのです。
そして、漠然と
導かれていることを
信じていればいいのです。
宇宙から、神様から
信頼されている人は
大変な歩みをするのです。
ある意味
勝手に信頼されているので
納得がいかないこともあります。
いわば、宿命に近いような
半強制的なことも
与えられるので
自分の都合だけを考えたら
やっていられなくなります。
使命というのは
自分の都合とは
関係がないのです。
使命を全うするために
必要なことが与えられるのですが
その必要なことは
自分の都合と
一致しないこともあります。
「それでも
 導かれていることを信じるのか」
という、内的な試練が
より強くなることもありますが
無条件に信じていくことで
成長することができるのです。
先天的に実力がある人は
試練が大きくなることもあります。
実力がある人は
限界点が高いので
早く限界が来るように
導かれるのです。
他の人、周りの人と比べたら
やってられなくなるので
比べないようにしてください。
必要なことが
必要なタイミングで
導かれていることを
信じていくことで
宇宙、神様から
信頼される歩みが
できるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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