【心理的な自由と自己責任】

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学び

日常的スピリチュアル、安田です。


自由と責任というのは
一致していくのですが
自由は受け入れたいのですが
責任には重荷を感じてしまうのです

自由な時代になることで
責任が伴ってくるのですが
心理的な自由を感じることで
自己責任の全うができるのです。

心理的な自由というのは
自分で決めた通りの
歩みができることであり

決めたことに対して
責任を全うすることができるのです。

歴史的に自由を求めてきたのですが
自由というのが分かるようで
分からなかったのです。

現実的には、時間、空間の制限があるので
完全な自由にはなれないのですが
心理的な自由は感じられるのです。

自由というのは
環境だけではなく
感じることであり

自由を感じることで
自然に自己責任を
全うすることができます。

もし人に自己責任が
無かったとしたら
本能のままにしか
生きられないので

何も発想することもできないし
創造することもできません。

動物というのは、一定の決まった
動きしかできないので
新しい発想、創造はできないのです。

なので、動物の世界は
今も昔もこれからも
変わることはありません。

自由な発想というのは
誰でもできるようになっているのですが
縛り、拘束の環境が長く続いてきたので
発想ができなくなっています。

自由に歩める環境ができていても
自由な発想ができないことに
行き詰まりを感じてしまうのです。

そして、今までは
常に決められてきたので
決めることができないことで

心理的な自由が
感じられなくなっています。

過去の時代の感覚では
今の時代、これからの時代に
合わせることができなくなります。

自由に歩める時代になっているのに
縛り、拘束を求めるというのは
時代に合わせていないということです。

自由に決めれる時代になり
自由に歩める時代なので
縛り、拘束を求めては
いけないのですが

自己責任の重荷に
耐えられないことで
縛り、拘束を求めてしまうのです。

早かれ遅かれ
縛ることも、縛られることも
できなくなっていき

拘束することも、拘束されることも
できなくなっていきます。

なので、必然的に
自分で決めて
決めた通りに歩むしかない
時代、環境になっていきます。

心理的な自由を感じるには
まず決める力を身につけて
決めた通りの歩みに
慣れていくしかないのです。

心理的な自由を
感じることによって
自己責任を悟ることができ
全うすることができます。

自己責任の全うというのは
自分の努力をすることであり
できることに最善を尽くすことであります。

特別なことではなく
ごく当たり前のことであり
重荷に感じるような
ことではないのです。

私たちの歩み、努力は
できることしかできません。

無理にやろうとしても
続けることができなければ
意味がないので

続けられることを
やっていけばいいのです。

心理的な自由を感じながら
歩むことができれば
自由な発想ができ
創造ができます。

いつの時代でも
新しい価値を生み出すことが
求められてきたのですが

今の時代、これからの時代は
建設的な価値の生み出しが
求められてきます。

今まで考えることすら
できなかったことが
生み出されていく時代であるので

新しい発想、柔軟な発想が
求められてきます。

心理的な自由を感じながら
自己責任を全うすることで
より希望を感じることができます。


今回も読んで頂きましてありがとうございました。

安田 悌


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