【みっともなさからのプライドを持つ】

記事
学び

日常的スピリチュアル、安田です。


成長するにつれて
より高い基準を目指すことが
できるようになります。

努力をし続けるには
常に学ぶ姿勢が必要なので
くだらないプライドは
捨てるべきなのです。

くだらないプライドによって
努力ができなくなってしまい
成長ができなくなってしまうのです。

ですが、必要なプライドがあり
必要なプライドによって
健全な成長ができ
建設的な歩みができるようになります。

そのプライドが
みっともなさからのプライドなのです。

例えば、常に言い訳ばかりして
努力をしない人がいますが

言い訳というのは
幼い子どもがするようなことであり
プライドを持っている人は
意地でも言い訳をしないのです。

あるいは、言っていることと
やっていることが一致しないというのは
みっともないことであるので

プライドを持っている人は
一致させようとするのです。

「みっともない」ということを
感じるようなことは多くあります。

健全に成長している人は
みっともなさが見えてくるので
プライドを持つことで
みっともないことを避けようとします。

くだらないプライドは
成長を妨げるのですが
みっともなさからのプライドは
より成長することができます。

「自分はプライドが高いので
言い訳をしない」という意識が
できるようになれば

プライドを活かすことが
できるようになります。

くだらないプライドというのは
何かに依存をしているのです。

位置や立場、年齢
過去の栄光等に依存していて

実力に自信が無いので
依存していることを
プライドにしてしまうのです。

努力をして、成長することで
実力を身につけることができれば
くだらないプライドに依存しなくなります。

実力というのは
素手で歩むようなことであり
何にも依存しないで
発揮することができるのです。

素手で歩むといっても感覚的なことであり
現実的には、与えられた環境の中で
道具を用いて実力を発揮するのです。

成長している人は
みっともないことが
分かるようになります。

成長ができていない人は
くだらないプライドに
執着してしまうのですが

くだらないプライドに
執着すればするほど
だんだん空しくなっていくのです。

みっともなさからの
プライドを持つことによって
より高い基準を目指すことが
できるようになります。

努力をしても
努力していることを
アピールしない人は

良い意味で
プライドが高いのです。

幼い子どもがやるようなことを
やってしまうことが
みっともなさなのです。

良い意味でプライドが高い人は
幼い子どもがやるようなことは
やらないのです。

くだらないプライドは
手放すべきなのですが
みっともなさからの
プライドは持つべきなのです。

何が幼い子どものような
行動であるのかが
分かるようになることで
プライドの発揮ができます。

他の人、周りの人の成長には
干渉することはできないのですが
成長しているか、いないかは
自然に分かるのです。

どうにもできないことを
グチグチ言うのも
幼い子どもと同じなのです。

暑ければ
「暑い、暑い」と
うるさく言い

寒ければ
「寒い、寒い」と
うるさく言うのは

どうにもできないことを言う
幼い子どもと何ら変わりません。

どのような言動を
発信しているのかを
自覚していくことで

どのようなプライドを
持っているのかを
把握することが
できるようになります。


今回も読んで頂きましてありがとうございました。

安田 悌


サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す