【悟れるように指導する】

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日常的スピリチュアル、安田です。

今の時代に求められている指導は
悟れるように導いてくれる指導なのです。
現代人は
知っていることは
あまりにも多いのですが
知っていても
悟れていないことが
悩みなのです。
知っているが故に
葛藤していることが
多くあるのです。
知らないなら
葛藤することはないのですが
知っていることが
できない、できていないことに
葛藤しています。
結論的には
知っているのであれば
やればいいだけなのですが
私たちの感情が邪魔をして
やるべきことができなくなります。
知っていることが
できるようになるには
悟りが必要なのです。
知っていても
悟っていないことを
自覚していくことで
悟りを求めることができます。
悟れるように指導することが
霊的指導力なのですが
私たちが悟るべきことは
誰にでも自己責任が
あるということなのです。
霊的指導というのは
悟れるように導けることであり
悟りに導くことで
自己責任を全うすることができ
より大きなことに
貢献することができます。
私たちの悟りというのは
単に一個人の問題ではなく
一人ひとりが悟ることで
大きな力を発揮することができ
時代の発展に貢献することができます。
自己責任の全うは
全体目的の貢献に
つながっていきます。
なので、悟りの境地に至ることで
より大きな目的に
貢献ができるということです。
霊的指導力といっても
霊的に何かが見える
聞こえる、感じる
必要はありません。
霊的に鈍感でも
霊的指導はできるのです。
悟れるように導くには
基準が上げられる指導が
必要なのです。
高い基準で歩めるように
導くことができれば
悟りの境地に至れるのです。
歩みの基準というのは
上がっていくように
なっているのですが
歩みの基準が上げられていない
人が多いのです。
同じような基準で
歩み続けているか
場合によっては
以前よりも基準が
下がっていることもあります。
年齢的な限界によって
できなくなることもありますが
基本的には
基準を上げていかないと
悟りの境地には至れないのです。
悟りの境地というのは
できる範囲の基準では
至れないのです。
それこそ、限界を越えるような
投入をしていくことで
悟りの境地に至れるのですが
そのような指導が
霊的指導なのです。
霊的指導をするには
指導をする人の
基準の高さが必要なのです。
自分ができていないことを
指導してはいけないのです。
評論家というのは
自分ができていないことを
割り切って話すのですが
表面的なことしか話せないので
霊的な指導はできないのです。
基準というのは
過去の自分と比べての基準であり
わずかでも基準が上がっていれば
成長しています。
その成長の度合いが
悟りの度合いになるのです。
悟りというと
特別な境地のような
印象がありますが
心霊的に成長している
境地ということです。
成長欲求を満たす
努力ができていれば
自然に悟れるのです。
成長する努力は
自己責任を全うすることであり
自己責任を全うすることで
悟りの境地に至れるのです。
なので、理屈、結論的には
単純で、シンプルなことなのです。
悟れるように
指導できる人が
増えていくことで
今の時代の恩恵
波動に合わせることができ
より大きな目的に
貢献することができます。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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