【深い境地で学ぶ】

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学び


日常的スピリチュアル、安田です。

深い境地で学ぶというのは
心で学ぶ境地であり
心で学ぶことで
悟りの境地に至ります。
私たちは、知っただけでは
実行することはできないのですが
悟ることで実行することができ
前に進むことができます。
悟っているか、いないかの違いは
実行ができているか、いないかに
反映されるのです。
かといって
悟っているからすごくて
悟っていないから
ダメということではありません。
私たちは知ることから
悟りの境地に至れるのです。
知っていても
悟っていないことで
葛藤するのですが
その葛藤によって
悟りの境地に至れるのです。
知ることは一瞬なのですが
悟ることに時間がかかるので
葛藤する時期が長いのです。
悟るためには
繰り返しの学びが
必要なのです。
知識を覚えるための
学びではなく
悟るための学びを
繰り返すことで
深い境地の学びができ
ある一点から悟りの境地に
至ることができます。
現代人は、良くも悪くも
知識、情報が入ってくるので
知っていることが多いのですが
悟れていないのです。
そして、中途半端な知識
情報に振り回されてしまい
本質を見失っています。
本質というのは
自分で悟れることであり
本質を悟ることで
高い基準で歩めるようになるのです。
同じようなことを
繰り返し学ぶことで
深い境地で学ぶことができ
知識を覚えるだけでなく
悟りの境地に至ることができ
自然に実行することができます。
過去の時代は
知識、情報が少なかったので
他の人よりも知っていることが
多ければ尊敬されましたが
今の時代では
知っていることよりも
悟っていることが
求められています。
なぜなら
知識、情報だけであれば
いくらでも得ることができるからです。
現代人が求めているのは
悟りの境地であり
悟ったことを教えられる人が
求められています。
同じ知識であれば
誰でも教えられるのですが
悟りの境地は
悟った人しか教えられないのです。
悟ったことを教えることで
気づきを与えることができ
気づくことで悟れるようになり
その悟りを教えていくことで
悟りが拡大される好循環ができます。
なので、悟ったことは
自分だけに留めていては
いけないのです。
その悟りは
他の人に気づかせるために
与えられることもあるのです。
自分のためではなく
他の人のために
悟ることもあるのです。
今は誰でも情報発信が
できる時代であるので
悟ったことを教えられます。
悟ったことというのは
直感的に与えられるのです。
学んでいることを
そのまま教えるのではなく
学んだことを土台にして
直感的に教えることで
悟りの境地で教えられるのです。
常にアウトプットをしていると
何を教えているのかを
覚えていないのです。
無意識の境地で
教えていけるので
無限に教えることが
できるのです。
そして、教えることで
深い境地で学べるようになり
悟りの境地に至れるのです。
「学んだら、教える」というのは
自然な循環なのです。
学んだことを教えることで
教育の拡大が成されるのですが
受け身だけで学ぶ人が多いのです。
インプットとアウトプットの
バランスが取れていけば
より深い境地で学ぶことができ
悟りの境地に至れるのです。
悟りの境地に至る人が
増えていくことで
高い基準で歩める人が増え
より発展的な歩みが
できるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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