【必要性教育】

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日常的スピリチュアル、安田です。

私たちの無意識は
必要性を感じることを
受け入れますが
必要性を感じられないことは
受け入れることはできないのです。
必要性を感じていることは
本当に必要なことなのか
必要ないことなのかの
基準ではないのです。
必要性を感じられることは
努力することができますが
必要性を感じられないことは
努力することはできません。
「必要性教育」というのは
必要性を悟る教育であり
悟れるように導く
教育のことをいいます。
今の時代は
ありとあらゆる分野で
歩むことができますが
現実的に
一人の人が歩めることには
限度があります。
多くのことをするよりは
やることを絞るだけ絞ることで
集中して、投入することができます。
必要性を感じることに
集中、投入することで
極める歩みができます。
ただ、何が必要なのかは
悟らないといけないのです。
自分次元の基準では
必要性を感じられないことでも
より大きな目的を基準にすることで
必要性を悟ることができるのです。
悟りの境地というのは
自分次元の基準ではなく
より大きな目的を基準に
悟りの境地に至るのです。
なので、自分次元の意識では
悟りの境地には至れないのです。
漠然とでも
より大きな視野と意識ができれば
大きな次元での悟りの境地に
至ることができます。
その悟りの境地から
何が必要なのかが
分かるようになるのです。
自分次元の意識を越えていくので
必要なことを悟ったが故に
苦しくなることもあります。
大抵、本当に必要なことというのは
多少の苦しさを感じることなのです。
本当に必要なことをやることで
成長することができるのですが
成長欲求が強くなると
必要なことが悟りやすいのです。
私たちの歩みには
多少の負荷も必要なのです。
簡単にできることだけを
続けていても
成長ができないので
満たされないのです。
新しいことに
挑戦しようとすると
恐怖を感じるのですが
その恐怖の先に
新しい気づきや
悟りがあるのです。
今の時代は
やってみないと
分からないので
とにかく、軽い気持ちで
やってみればいいのです。
恐怖に感じていることは
大したことではないし
失敗しても大事にはなりません。
現実の中で
挑戦できることは
たかが知れているので
どんな結果であっても
大した支障にはならないのです。
私たちの恐怖心というのは
挑戦することの大きい
小さいの判断はできません。
初めてのことは、ごく小さな
何の支障もないことでも
恐怖を感じてしまうのです。
ごく小さな最初の一歩を
踏み出せないというのは
厄介な恐怖心があるからなのです。
大きなことに
挑戦しようとして
恐怖を感じるのは
仕方がない面もありますが
ごく小さな、何の支障もない
リスクもないようなことにも
恐怖を感じていることに
気づくべきなのです。
必要性を悟るには
ごく小さなことでもいいので
前に進むことが必要なのです。
一歩でも前に進むことで
新しい経験、体験ができるので
そこから必要なことが
見えてくることもあります。
必要性は自分で悟らないと
できるようにはなりません。
他の人というのは
客観的に見れるので
誰に何が必要なのかが
分かるのですが
当の本人が必要性を
悟ることができなければ
本当に必要なことはできません。
自分で必要性を悟るには
自分と向き合うしかないのです。
ひたすら自分と向き合うことで
悟りの境地に至り
成長に必要な歩みが
できるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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