【失敗を大げさにしない】

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学び


日常的スピリチュアル、安田です。

私たちには
「失敗してはいけない」
という教育が根付いていて
失敗したら
全てが終わるような
極端な考え方に
なっている人もいます。
失敗というのは
学ぶ教材になり
失敗を通して
悟りや気づきが
得られるのです。
失敗体験が
多ければ多いほど
多くのことを
学ぶことができ
悟ることができ
気づくことができるのです。
失敗というのは体験であり
必要な体験を通して
成長することができるのです。
実際、過去の時代は
大量にモノをつくっていたので
失敗ばかりをしていたのでは
話しにならないので
失敗が許されない
風潮があったのです。
ですが、今の時代は
致命的な失敗でなければ
体験する必要があるのです。
そして、失敗を
いちいち大げさにしていたのでは
身が持たなくなります。
大量の行動をすれば
大量の失敗をするのですが
どんな失敗であったとしても
大したことではないのです。
それこそ、かすり傷にも
ならないことなのです。
失敗を大げさにしないためには
「死にはしない」という意識を
していくことで
良い意味で、失敗を
軽んじることができるのです。
私たちができることは
地球規模、宇宙規模から見たら
小さなコマをほんの少し
動かしているようなことなのです。
その観点から失敗を見ることで
大したことではないことを
感じることができるのです。
失敗したことは
今さらどうすることもできないので
前に進むしかないのです。
後悔というのは
原動力に必要なのであって
卑屈になるために
後悔をしてはいけないのです。
失敗を大げさにしないことで
新しい挑戦ができるのです。
今までやったことがないことは
失敗するのは当然なので
失敗しても想定内のことが
起こっているだけのことです。
今の時代、これからの時代は
新しいことに挑戦するしかないのです。
既存のことで
必要ないことは
無くなっていくので
新しいことが
生み出されていくのです。
挑戦することが
求められているので
何も考えないで
勢い的な歩みをすることも
必要なのです。
どんなことでも
やってみないと
分からないのです。
分からないことに
結論を出してしまうと
一歩も前に進めなくなります。
まして、今の時代は
答えがない時代なので
やってみることでしか
答えを見い出せないのです。
未だ、失敗することを
批判する人がいますが
大量の行動をして
大量の失敗をして
呆れさせることで
批判することが
できなくなります。
中途半端な失敗だと
打たれてしまうので
誰にも負けないくらいの
失敗をしていくことで
呆れることも
できなくなってしまうのです。
今の時代は
何をするにしても
中途半端にしては
いけないのです。
やるならやる
やらないならやらないと
極端な歩みをしていくことで
時代の波動に合わせることができます。
基準を立てるのであれば
他の人、周りの人には
できない基準を立てることで
誰も何も文句が言えなくなります。
挑戦ができる人というのは
実際はわずかな人だけなのです。
ほとんどの人は
挑戦ができないので
挑戦して歩んでいる人に
違和感を感じるのです。
その違和感によって
批判するようになるのです。
新しいことに挑戦すれば
誰でも違和感を感じるのですが
違和感は最初だけであり
続けていくことで
麻痺してしまい
当たり前になってしまうのです。
失敗を大げさにしないことで
新しい挑戦がしやすくなり
常に前に進むことができ
今の時代の波動に
合わせる歩みができます。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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