【成長していないことに空しさを感じる】

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日常的スピリチュアル、安田です。

今の時代に空しさを感じるのは
成長欲求が満たされていないからです。
過去の時代は
成熟を目指すことができたので
ある意味、それなりに
精神的にも満たされていたのです。
いつの時代でも
目指すことがあれば
環境の厳しさがあっても
それなりに充実感を
感じることができるので
精神的にも満たされます。
ただ、今の時代は
成熟しているので
目指すことが
曖昧になっています。
成熟しているのが
当たり前になっているので
何を目指したらいいのかが
分からなくなっているのです。
成熟したといっても
現実的な問題はありますが
過去の時代よりは
恵まれているのです。
成熟を目指していた時代から
成熟した時代になったので
過去の延長線上で歩んでも
空しさを感じるのです。
成熟した時代というのは
プラスマイナスゼロの時代であり
プラスを積み上げていく
時代だということです。
プラスを積み上げる
努力をしていかないと
空しさを感じてしまうのです。
成長欲求が満たせないというのは
単に努力をしていないだけなのです。
他の誰かが満たしてくれないのではなく
自分から主体的に努力をしていないので
空しさを感じているだけなのです。
時代の変化によって環境が変化し
環境の変化によって
人の心理が変化するのです。
心理の変化というのは
欲求が変化することでもあるので
過去の時代で求められていたものが
今の時代では求められなくなるのです。
過去の時代では
ステータスが求められていて
一つの価値観の基準であったのですが
今の時代の価値観には
合わなくなっています。
今の時代は
成長ができていないことが
最大のリスクになっています。
成長には努力が必要なので
努力ができていないことが
根底のリスクということです。
成長欲求は
どんなにモノを満たしても
満たすことはできません。
自由にモノを満たすことができても
成長欲求を満たすことはできないのです。
成熟した時代に
モノで満たそうとすればするほど
より空しさを感じるのです。
努力というのは
どんな環境であっても
できるのです。
たとえ、不利な環境であっても
その不利な環境を活かしながら
努力することができます。
そういう面では
今の時代は平等なのです。
環境の有利
不利に関係なく
努力ができる時代なので
言い訳ができないのです。
基本的な努力である
学ぶこと、実行すること
瞑想、運動は
実践をしなければ
努力にはならないのです。
いくら環境が整っていても
実践をしなければ
努力にはなりません。
不利な環境の中でも
実践をしているのであれば
努力をしているということです。
学ばなければ
何も知ることはできないし
実行しなければ
何も身につけることはできないし
瞑想をしなければ
心霊を満たすことはできないし
運動をしなければ
身体を鍛えることはできません。
どんな環境であったとしても
工夫をしていくことで
努力ができるのです。
私たちの不利さというのは
そう大きなことではないし
自分で不利さを大きくして
難しくしているのです。
努力をしなければ
成長欲求を満たせないので
環境の有利、不利さは
関係ないのです。
私たちの本能は
努力することを
妨げるのです。
本能のままに歩んでしまうと
努力ができなくなり
空しさを感じてしまうのです。
本心基準で歩むことで
努力がしたくなり
成長欲求を満たすことができ
充実した歩みができます。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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