【使命の分担】

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日常的スピリチュアル、安田です。

与えられる使命というのは
一人一人で違うのです。
そして、同じように、平均的に
使命が与えられているのではないので
使命の差ができてしまうのです。
運勢が強い人には
重い、大きな使命が
与えられるのです。
使命と試練は
正比例するので
試練が大きい人は
使命が大きいのと
運勢が強いのです。
運勢の強さというのは
自分で勝手に強くなったのではなく
先祖の功労によって
強くなったのです。
なので、表面的には
使命の差があるのですが
根本的には平等であり
バランスが取れています。
使命は分担させられているので
他の人の使命と比べようがないのです。
私たちにできることは
自分に与えられた使命を
全うすることだけなのです。
他の人の使命は
全うできないし
全うしようがないのです。
実際、自分の使命だけを
全うすることだけでも精一杯なので
他の人の使命まで
考える余裕もないのです。
使命は自分で悟るしかないのですが
使命を悟るには自分の深い境地と
向き合うしかないのです。
使命は悟れるように
なっているのですが
無意識に悟ることを
拒否してしまう人もいます。
なぜなら、悟ってしまうと
使命の通りにしか
生きれなくなってしまうからです。
使命の通りにしか
生きれないとなると
非常に窮屈さを感じますが
使命を全うする努力には
心理的な自由があるのです。
人の本心基準は
使命の全うを願っているので
使命を全うしようとすることで
本心からの自由を感じることが
できるのです。
分担させられる使命は
本心基準では願っていることなので
全うする努力ができるのです。
他の人の使命が大変そうに見えても
同情してはいけないし
同情されてもいけないのです。
分担させられた使命は
拒否することはできますが
変えることはできないのです。
隣の芝生は青く見えるので
他の人の使命の方が
羨ましくなることもありますが
残念ながら、使命を変えて
もらうことはできません。
自分に与えられた使命だけしか
全うすることはできないのです。
使命が分担させられているのは
全体目的があるからなのです。
本来の基準、究極の理想を
実現する方向に進んでいるのですが
その全体目的の中の一部分を
使命として分担させられています。
使命には、建設していく使命もあれば
穴埋めをする使命もあります。
建設する使命が
与えられている人は
自分次元の感覚で
満足してはいけないのです。
それこそ、上限を決めないくらいの
結果を出していく使命があります。
穴埋めをする使命が
与えられている人は
ひたすら忍耐して
穴埋めをするしかないのです。
表面的に見ると
おいしいところばっかり
持っていく人と
ひたすら損をするような
人に分かれるのですが
それでも、平等に使命が
与えられているのです。
感情的には
理解できなくても
理屈的には
理解してください。
使命には膨大な
背後の関係があるので
表面的には理解できないのです。
理解ができなくても
与えられた使命を全うすることに
集中、投入していけばいいのです。
建設する使命も
穴埋めをする使命も
成長ができるように
なっているのです。
成長という観点から見れば
平等でもあるのです。
次々に建設していくことで
成長することができる人もいれば
忍耐することで
成長ができる人もいます。
分担させられた使命には
プラス面とマイナス面の
両方が与えられるように
なっています。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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