【認められない強みを持つ】

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日常的スピリチュアル、安田です。

誰でも認められたい思い
願いがあります。
その思い、願い自体は
悪いことではないのですが
実際は認められることは
あまりないし
認められるかどうかの
コントロールはできません。
認められるから努力をするとなると
努力を続けることができなくなります。
努力を続けた結果
認められることがあるのであり
努力を始める前に
認められることはないのです。
認められないときに
どう歩めるかなのです。
認められないときに
自分の基準を立てることができ
軸を確立することができるのです。
他の人が認めるか
認めないかの
コントロールは
できないのですが
ある意味、勝手に認めて
勝手に認めないだけであるので
認められるかどうかを
基準にしないでください。
認められなくても歩める
努力ができることが
強みになっていくのです。
強みというのは
自分で身につけることが
できるのですが
与えられた環境を
上手く工夫することで
身につけることができます。
認められそうもない
環境、状況の場合は
静かに認められないように
貢献してください。
表に出るのではなく
裏方のような歩みに
徹していくということです。
どんな分野でも
表に出る人もいれば
裏方もいます。
プレイヤーもいれば
陰で支える人もいます。
貢献というのは
認められるから
するのではなく
貢献欲求が
満たされるので
貢献するのです。
私たちの歩みというのは
貢献につながる歩みなのです。
貢献というと
特別なことのように
感じられるのですが
日常の歩みが
貢献につながっています。
貢献欲求が
満たされていれば
認められるか
認められないかは
どうでもよくなるのです。
認められても
認められなくても
変わらないで
努力ができることが
強みになっていきます。
他の人の承認というのは
何の基準もありません。
中にはスカウトのような
プロもいますが
大抵の人の承認には
基準がないので
認められるか
認められないかに
左右されてはいけないのです。
認められることが
華なのではなく
認められない時期が
華の時期なのです。
一人で努力ができない人は
承認欲求が強いのですが
承認というのは
求めることではなく
自分が承認できるように
なることをいいます。
承認されることを
求めたとしても
承認してもらえないことの方が
多いのが現実なのです。
承認するのは
自分で勝手にできます。
承認というのは
否定しないことであり
無責任に
「あなたならできる、大丈夫」と
全く根拠がないことでも
確信を与えることをいいます。
これは誰もが求めているので
承認することができれば
お互いに満たされるのです。
承認された人も
承認した人も
満たされるのです。
「承認されないといけない」という
思い込みを持っている人もいますが
コントロールができないことは
どうすることもできません。
コントロールができないことは
無理に求めてはいけないのです。
認められない時期に
地道に歩める人は
自分で歩める強みが
身につけられるのです。
今の時代は
一人一人の個性
能力を発揮することが
求められているので
一人でも歩める力が
必要なのです。
一人で歩めるようになれば
自分のペースで努力ができ
自分の軸を確立することが
できるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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