【瞑想の習慣によって癒される】

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日常的スピリチュアル、安田です。

瞑想には
癒しの効果もあります。
瞑想を続けることで
癒しを感じることができる
境地に至ります。
ただ、そこまでの
境地に至る前に
挫折してしまう人が多いのです。
雑念に耐えられなくて
挫折してしまう人が
多いのですが
雑念を客観的に
観察することが
できるようになれば
雑念に振り回されなくて
済むのです。
瞑想を始めたら
雑念が出てくるのは
当たり前なのです。
雑念が出てくることで
思考や感情の整理が
できるようになるのです。
瞑想の雑念に
耐えることができれば
忍耐力が強化されます。
瞑想中の雑念ほど
苦しいことはないのです。
なぜなら
逃げようがないからです。
逃げようがないことを
じっと耐えていくことで
忍耐力が身につくのです。
瞑想で忍耐ができるようになれば
その忍耐の先に、癒しを感じることが
できるようになります。
瞑想を習慣にして
続けていくことで
雑念は小さくなります。
雑念が小さくなることで
より癒しを感じることができるのです。
瞑想からの癒しを感じることで
瞑想がやめられなくなるのです。
瞑想に限らず
どんなことでも続けなければ
効果を感じることはできません。
その効果というのは
やめられなくなる快感なのです。
続けられることというのは
何らかの快感を感じているので
続けることができるのです。
毎日、気合、根性
意志の力を入れてでは
絶対に続けられないのです。
どんなことでも
快感を感じられるまでが
大変なのです。
快感を感じられる代償が
忍耐になっていくのですが
忍耐ができなくて
挫折してしまう人が多いのです。
忍耐が大きければ大きいほど
代償が大きいので
快感も大きくなります。
忍耐と快感は
正比例するのです。
快感だけを感じて
忍耐はしたくはないのですが
残念ながら
そのような歩みは
できないのです。
人の本能は
「痛みを避けて、快楽を得たい」のですが
痛みを避けたら快楽は得られないのです。
本能のままに
歩んでしまうと
痛みを避けることはできますが
同時に快楽を得ることはできないのです。
痛みを避けたいのであれば
快楽は諦めないといけないのです。
瞑想からの
癒しを感じることで
日常の歩みが
歩みやすくなるのです。
歩みやすくなることで
基準高く歩むことが
できるようになります。
瞑想自体というのは
何の生産性もありません。
目を閉じて
何もしていない状態なので
何も生産することはできないのです。
ただ、瞑想を通して
雑念を流すことができるので
歩みやすくなるのです。
常に走っているだけでは
長く続けることはできません。
私たちに必要なのは
休みではなく、癒しなのです。
全く休みがなくても
癒しを感じることができれば
歩み続けることができるのです。
これからの時代は
自分で努力をしていくので
休み感覚、曜日感覚では
歩めなくなります。
自分で何をやるのかを
決めていくので
いくらでも
休むこともできますが
いくらでも
努力をすることもできるのです。
努力がやめられない人は
自分でブラック企業に
してしまう可能性があります。
休みなく努力を続けていくには
癒しが必要なのです。
瞑想の習慣から
癒しを感じることが
できるようになれば
基準高く歩みやすくなり
集中、投入することが
できるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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