【夢中になれない暇人】

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日常的スピリチュアル、安田です。

何かに夢中になっている人は
集中することができるし
投入することができるのです。
そして、夢中になっている人は
攻撃をしないのです。
夢中になっているので
攻撃する暇がないのです。
攻撃的な人というのは
暇な人なのです。
現実的な暇ではなく
心理的に暇なので
無駄に攻撃をしてくるのです。
暇な人は、愚痴、泣き言
不平不満、言い訳が多いのです。
夢中で歩んでいる人は
愚痴る暇もないし
泣き言を言う暇もないし
不平不満を言う暇もないし
言い訳をする暇がないのです。
今の時代の環境は
暇と孤独を感じやすいのですが
心理的には
暇になってはいけないのです。
攻撃的な人は
要は暇なのです。
無意識に攻撃することを
考えているので
何かに夢中になっている人は
太刀打ちすることはできないのです。
今の時代に必要なのは
夢中さなのです。
何でもいいので
夢中になることができれば
集中力、投入力を越えた
歩みができるのです。
夢中になる感覚を
身につけることで
投入する歩みの感覚が
身についていくのです。
子どもがゲームに
夢中になるというのは
今の時代には
必要なことなのです。
夢中になる感覚を
身につけることで
学ぶこと、実行すること
瞑想、運動も夢中に
なることができるのです。
私たちは、どんなことでも
夢中になれるのです。
目の前の小さなことでも
夢中になって歩むことで
集中することができ
投入することができます。
集中、投入というと
義務的な感覚がありますが
夢中というのは
感じたままなのです。
「集中しなさい
 投入しなさい」
とは言いますが
「夢中になりなさい」
とは言いません。
夢中になるには
夢中になっている
フリからでもいいのです。
馬鹿みたいに
夢中になっている
フリをしていくことで
自然に夢中になることが
できるようになるのです。
他の人に夢中になっていることを
アピールする必要はありません。
夢中になっている人は
一人で歩んでいても
夢中になっているのです。
好奇心が強い人は
夢中になりやすいのです。
好奇心は誰でも
持っているのですが
大人になると
無駄なプライドによって
好奇心を抑えてしまうのです。
好奇心を解放していくことで
何をするにしても
夢中に歩むことができるのです。
夢中に歩んでいる人は
努力が努力ではないのです。
学ぶことも
実行することも
瞑想、運動をすることも
努力ではないのです。
これからの時代は
仕事と遊びと学びが
一致していきます。
仕事は仕事
遊びは遊び
学びは学びという
境目がなくなるのです。
何をしても
仕事になるし
遊びになるし
学びになるのです。
誰もが夢中になることが
できるようになれば
攻撃する暇がなくなるのです。
攻撃される人は
きついのですが
攻撃する人は
心理的なバランスが
崩れているのです。
理解して、受け入れる
必要はありませんが
見抜いていくことで
心理的なバランスが
崩れていることに
気づく場合があります。
気づくことを
期待しなくてもいいのですが
心理を見抜いていくことで
攻撃ができなくなることもあります。
私たちには
攻撃する暇はありません。
夢中になっていれば
良い意味で余裕がないので
攻撃しようとする
発想すらできないのです。
夢中に歩んでいくことで
より集中することができ
投入することができるので
価値を創造する歩みが
できるようになります。

今回も読んで頂きましてありがとうございました。
安田 悌
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