躍るあほぅに 見るあほぅ 同じあほなら・・・

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コラム
少し前に「占い」にハマってました
 「占い」は好きです
血液占い、星座占い、生年月日、姓名判断・・・
もろもろ好きです

雑誌、テレビ、色んな媒体の「占い」もチェックし
わざわざお金を払ってまでも
色んな所に足を運んで行ってました

もちろん今も好きです

好き過ぎて 突き詰めた先に待ってたのは
自分で勉強してみよう!」と
とんちんかんな道を見つけてしまったのです

まぁ「好き過ぎて」は言い過ぎました
単に 色んな「占い」に行き過ぎて
ある場所では
「あなたは どっちかって言うと内向的ですね」
違う場所では
「あなたは 外交的でコミュ能力が高いですね」
またほかの場所では
「あなたは 自分で自分の人生を作って行ける人です」

いや・・・最後に至っては
みんなそうなんじゃねぇの?!

まぁ もろもろ言われに行きまして
「結局、私の運勢はどうなん?」
ってなっちゃったんですよねぇ

そこで 自分で勉強すりゃよくね?
自分でわかったら 納得するんじゃね?
って単純な思考です

そうなれば まず「本」を買い
パソコンをも駆使し 読み漁りますよね

私は選んだのは「姓名判断」と「生年月日判断」
この2つは 人において 
結構長く付き合うものだから・・・

まぁ、血液もそうだけど
血液なんて 4分の1だからなぁ~・・・
さすがに4分の1で分類されるのはなぁ~・・・

ってな感じで
結構 勉強しましたよ
占い」にも色んな宗派みたいなもんがあって
私は 自己満足なので どこにも属してないですが
その宗派によっても 多少変わるみたいです

内容は 説明が面倒なので省きますが
まずは 「人読み」から始まるっぽいです
初見時もしくは、対面での言動
これは どの本を見ても書いてありました

それを踏まえて思い返すと
占い」へと赴いた時の私の言動は
たぶん ほぼ違う対応だったと思います

私は人間が大好きです
「世の中には悪い人はいない!」
「話せばわかる人ばかり!」
と、思って生きています

まぁ、周りには「甘い」と言われ続けてますが
それほど人間が大好きです

なので「占い」に行くと
この「占い」の人は どんな感じの客が話しやすいだろうな
と考え行動します
まさしく「人読み」です

接客業を好んでやってた私は
人読み」大好きです
もちろん 全てが正解するわけじゃないので
困らせて終わる場合もありますが

占い」も「人読み」から入るのならば
私の「占い」結果がバラバラなのは仕方無い事
私が悪かったです
むしろ邪魔してました

でもここで問題です
誰しもが「占い」へ赴く場合
占い」と対峙する場合は
外面なのでは?

そう思ったあなた!
その外面を剥がして行くのも
占い」の真骨頂なのです

占い」に対峙した時 大事なのは
「当たってるかも!?」と思わせる事

その「当たってる感」が増すごとに
外面が一枚、また一枚と剥がれて行くのです

もちろん、警戒心満載の人もいるので
全員ではないですが

その一枚、一枚剥がされて行く顔をも
占い」として判断されてます

まぁ、ネタ晴らしして行くと
「当たってる感」を出すのは
とても簡単で・・・・

人間の「あるあるネタ」を出して行けば
大抵の人が「当たってるかも?!」と思うんです

ちなみに
「幼少期に大病までは無いけど 病気する事多くなかったですか?」
「お父さんかな?お母さんかな? かなり厳しくなかったですか?」
「親御さんに 大事にされてたんですね」
ほかにも色々ある様ですが
だいたい 殆どの人に刺さる感じの文言が多いです

ね?どれか一つくらいあるでしょ?

ただ これを見て
「騙された!」と思うのはお角違いですよ
上記はあくまでも
お客さんの外面を剥がす為の口頭テクです

その後の「姓名判断」や「生年月日」の
付属でしかないのですから

実際、勉強して自分の「姓名判断」は
出来る様になりました
結果的に自己判断は 他の「占い」と
当たってたし、外れてた と言う事

私が言いたかったのは
占い」はあくまでも「アドバイス」なのです
こんな道もあるよ?
あんな坂もあるよ?
と教えてくれてるのです

その道を選んで進むのは自分
選ばないで進むのも自分
占い」とはそう言うもんなんです

あの人が こう言ったから・・・
あのお方が あぁ言ったから・・・
あの先生が そうおっしゃってたから・・・

ここまで来たらもう「占い」じゃないっす

なんだかんだと書いてきましたが
占い」は今でも好きです
当たるも八卦 当たらぬも八卦
なんていい言葉がある様に

全て身を委ねるのではなく
自分の考えを大事にしつつ
その上で「占い」に乗っかると
もっと楽しめるかもしれませんね



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