固定種で野菜づくり

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モンサント社はインドにおいて自社の種子を供給することで まさに一国の食料供給を 握ってしまいました。そういうことに歯止めをかけるには、どうしたらいいでしょうか? 種は買うものだと考えていると、キャベツだと思っていたものがいつの間にか  ダイコンのミトコンドリアを食べていることになっている。そういう世の中になっている のです。昭和30年代以前に戻って自分で種を採るようになれば 種代なんか一切 かからない。自家採種する人を増やせばいいわけです。 いかに世界経済を大きくして たくさんのお金を稼ぐというのが今の国の方針ですから お金がかからないという農業を勧めても国は動いてくれません。野口 勲  野口種苗研究所
 今どんどん種が消えています。日本の固定種はダイコン ハクサイ カブなど
  アブラナ科の秋野菜が中心です。儲からないから、もう全部F1にしたという種屋 もいます。消えてしまう前に家庭菜園でもいいから 種採りをして、何とか種の命 をつないでほしいと思います。やがて世界中が雄性不稔のF1や遺伝子組み換え の種ばかりになったとき、例えば そんなものばかり食べているから 子どもが産まれ なくなってきたのだと証明されたとき、昔の種がどこかに残っていれば それが人類 を救うかもしれません。とにかく自家採種する人を一人まで増やしたいから、うちから 種を買ったら、同じ種はもう買わないで その畑にあった野菜に育ててほしいと 思っています。当時東京市場で人気のあった埼玉の在来種である真黒茄子と 新潟の巾着茄子を掛け合わせて埼交茄子をつくりました。この成功が注目され、各地 で特産野菜のF1がつくられるようになっていきます。 
  世界中の人間がそういった子孫を残せない植物ばかりを食べる時代になっています。
 固定種の第一の利点は おいしいから栽培し続けられてきたので 
  本来の野菜の味を持っていることです。原種コンクールは、日本中の種屋が、戦争中に散逸してしまっていた 原種を集めて 同じ畑で同じ栽培方法でつくって 本来の形質を表彰する取り組みです。 
  優秀な種が普及されていくことを目指していましたが 
昭和40年代(1965)にF1が 増えてきて日本中がF1になってしまいました。自家採種ができることも 固定種の良いところです。植物は根が張っているので歩けませんから 土地に張った 根や表皮の細胞が風土を判断します。 
  そうして その土地に育ったものはその土地で花を咲かせて その土地で種を結び 人間が動物がその種を選ばない限り その種はその土地に落ちて、またその土地で 育ちます。生物で最初にF1を創ったのは日本で、1914年に蚕でおこなわれました。 日本と中国の蚕を交尾させ一代雑種をつくり「日支何号」と名づけました。 この蚕は非常によく卵を産んで収量も上がったので、中国との絹の輸出競争に勝って 日本は世界の絹市場を席巻することになりました。世界で最初のF1野菜は 埼玉県の農業試験場で柿崎博士がナスをつくりました。

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