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希望の牧場(2)

こんにちは、司法書士・ペット相続士の金城です。2011年3月11日に起こった東日本大震災では、福島第一原発の事故が原因で避難区域が指定され、多くの家畜やペットが避難区域に取り残されました。 避難区域に取り残された家畜の命を守るため、【エム牧場浪江農場】の吉沢正己さんが立ち上がります。現在では【希望の牧場】と改称されています。 エム牧場浪江農場は福島第一原発から14km離れた浪江町にありました。 原発から20km圏内が避難区域に指定されたため、エム牧場浪江農場も避難区域に当たります。 しかし吉沢さんは、浪江町の町中の人たちが避難した後もエム牧場に残り、牛の面倒を見続けます。 避難区域内の家畜は被爆している可能性があるため、もはや食肉として売ることはできません。 それでも吉沢さんは、自身の牧場の牛たちのみならず、避難する畜産農家からも牛 約100頭を託されて飼育します。 福島第一原発事故以降、避難する周辺の畜産農家から託された牛も含め、吉沢さんは300頭以上の被爆牛を看取ってきたとのことです。 2024年現在、吉沢さんは180頭以上の被爆牛を世話しています。 家畜としての価値がまったく無くなった牛を、13年以上も飼育しているわけです。 ちなみに、180頭以上の牛を飼うためのエサ代は月額30万円に上り、東京電力から支払われた賠償金と自身の年金でエサ代をまかなっているとのことです。 吉沢さんが被爆牛を世話し続けている根底には、家畜としての経済価値はゼロになっても、人間も動物も「命」の重さは等しい、という考えがあります。 経済価値がゼロになった被爆牛を世話し続ける吉沢さんの姿は、命を、「
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希望の牧場(1)

こんにちは、司法書士・ペット相続士の金城です。2011年3月11日に起こった東日本大震災では、津波に襲われた福島第一原発の事故により「避難区域」が設定され、区域内の住民が避難を余儀なくされました。避難区域では多くの牛・豚・ニワトリなどの家畜が飼われていましたが、それらの家畜がペットとともに置き去りにされたことを覚えている方も多いと思います。 ペットである犬・猫は避難区域外へ連れ出すことが認められました。 しかし、牛・豚・ニワトリは汚染物を市場に流通させないとの名目で、避難区域外への移動を禁止されました。 震災の約1か月後の4月15日、福島県は動物救護本部を設置し、避難区域のペットの保護に乗り出します。しかし、家畜については4月24日、衛生面などの問題から殺処分する方針を決定します。 置き去りにされた家畜やペットがどうなったのか、テレビニュースなどで表立って大々的に報じられることはありませんでした。 しかし、一部の週刊誌などで、置き去りにされた家畜やペットの惨状が報道されました。 世界的に有名なアルピニストの野口健さんも2011年7月に避難区域に入り、自身のホームページで家畜の惨状をリポートしています。 空腹のあまり排泄した糞尿を食べ、ついには共食いする犬・猫。 餌を与えられる時に首を固定され、そのままの状態で人が避難したため、身動きが取れないまま餓死していった牛たち。 また、餓死した豚の屍の山。 そして死体に群がるおびただしい数のウジ。 調査結果では、福島第一原発から半径 20km圏の警戒区域には、震災前には牛3,488頭、豚30,510頭、ニワトリ441,000羽が飼養されて
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