経歴
職歴
コンビニエンスストア 1987年7月 〜 現在
・店舗運営 / 店長 2018年4月 〜 現在
随時追記していきます。
・1歳半で両親が離婚 / 【父方の祖父母に預けられる】1歳半〜7歳 1987年7月 〜 1992年7月
当時父の記憶はありません。 気づいたらばぁちゃんとじいちゃんがいました。 2人を親だと思ってました。 ばぁちゃんとじいちゃんと呼んでたことに疑問がありませんでした。 ばぁちゃんは大好きでしたが怒ると恐い人で、 怒らせるとボットン便所(昭和感)に落とされそうになりました。 僕が道を外さなかったのは間違いなく祖母のおかげです。 祖母に育ててもらった期間があったから後の試練にも耐えることができました。
・【祖母との死別〜】7歳 1992年7月 〜 1994年7月
小学1年生の夏休み 旅先で、祖母が急性心筋梗塞で亡くなりました。 お医者さんの言葉の「なくなる」という意味がわからず、 何度も聞き返したことを今でも鮮明に思い出すことができます。 親だと思っていた祖母がいなくなることは あの頃の僕にとって絶望でした。 葬式に父がいました。初めて知ったくらいでした。預けられて以降1度も会ってませんでした。 父と祖父は喧嘩し、祖父は「僕を預けたから祖母が死んだ」といいました。 初めて会ったような父を頼る他なく、ついていくことになりました。
・【父、2人目の母、妹との4人暮らし】7〜8歳 1994年7月 〜 1995年11月
祖母の葬式に父が来ておりました。 預けられてから初めて再会したので記憶はありません。 葬式で父と祖父が大喧嘩をし、祖父は私を預けたから祖母が死んだと言いました。 急遽、父に引きとられることになりました。 その先で知らない女性と子供がおり、母と妹だよと紹介されました。 ここから4人での生活が始まりました。
・【2度目の両親の離婚】9歳 育児放棄を受ける 1995年11月 〜 1997年7月
父はほとんど帰ってきませんでした。 仕事が忙しいとのことで、私と妹は母に任せきりでした。 母はパチンコと夜のテレビゲームに明け暮れていました。 関心を持ってもらえず部屋は荒れてました、朝から夜まで妹とお腹を空かせていました。 ですが衣服は何故か妹はしっかりしてました。でも私は穴の空いてない下着や服はありませんでした。 学校には最初馴染めたのですが、運悪く仲の良い友達が同時に2人転校し孤立しました。 出来も悪い子供だったので担任の先生にも厳しい扱いを受けました。 父はたまに帰ってきては母と喧嘩し母に暴力を振るいました。 そんな生活が続き数えきれない喧嘩の後、両親は離婚することになり父に連れて行かれました。
・【3人目の母と父との3人暮らし】9歳〜 体罰を日常的に受ける 1997年7月 〜 2004年4月
「新しい母さんだよ」と言われた人は若い人でした21歳でした。 引越した先には生活感があり、すでに新しい母はおりました。 ここから「悪いこと」をした罰は殴られたり蹴られたりモノで叩かれたりすることに変わりました。 学校の生活に関心をもってもらったこともありませんし、勉強をみてもらったこともありません。 日々の「悪いこと」は目つきがわるいとか姿勢が悪いとかそのような理由から始まりました。 そしてぐったりするまで殴られ続けました。何故か頭ばかり殴られました。 学校のプール授業は痛すぎて受けれない時もありました。