経歴

職歴

  • 株式会社ウェルビー 2014年4月 2016年3月

    ・就労移行支援利用者 / 利用者 / その他 2014年4月 2016年3月

    この場所から私は自身の障害とやっと本格的に向き合い始めることとなりました。 ここに至るまで約十年以上の苦しみを経て、やっと目を背けていたことに気づいたのです。 そして、この場所で可能な限り自身を知ろうとしましたが。 やはり十分な結果を出すには至らず、這いつくばりもがくように進みながら、 自身の特性をほんの一握りだけわかった時に利用期限に到達しました。 その状態の私は社会に出ることで多くを学び始めることとなりました。

  • 株式会社ココカラファインヘルスケア 2016年3月 2018年3月

    ・接客、品出しなど。 / 従業員 / その他 2016年3月 2018年3月

    基本的に品出しをしつつ、お客様がお探しの商品へのご案内や。 ご説明などを担当しておりました。 良く働き人当たりも良いと褒められましたが、 クレーム対応に追われて心身共に疲弊し退社いたしました。 しかし、ここで得た経験から私の特性をよくよく探るようになりました。 また、ヒトをよく見るようになったのもここがきっかけとなりました。

  • 就労支援移行事業所ディーキャリア 2019年4月 2023年2月

    ・就労移行支援利用者 / 利用者 / その他 2019年4月 2023年2月

    この時の私は一年間の休息を終え、とりあえずの回復はしましたが。 この時点でも十分な回復とは言えない状況にありました。 心、つまり、魂への傷というのは簡単には癒えません。 最初は心身ともに疲弊した状態でともかく手に職がないという焦りから 事業所様にお世話になることを急ぎました。 しかし、努力してもうまくゆかないことの方が多く。 この時既に神様の存在は知っていましたが、神様を気にする余裕はこの時点ではありませんでした。 焦りに焦り、心も体も更に疲弊してゆく日々の中で。 私は最終的に事業所へ行くことも危うくなりました。 そんな苦しみの中にいた時でした、現世は新型ウィルスコロナによって多くの事が崩され。 今までの普通や当たり前が通用しない時となりました。 そこで現れたのが在宅就労でした。 私は事業所に通うことがうまく出来ませんでしたが、 在宅での作業や勉学に関しては自身でも驚くほどの積極性をみせました。 ここで、無理をしないことを徐々に覚え。 自身のできる範囲で出来ることを探し始めました。 そして、私は私自身を知るために。 また、改められる事とどうしようもない事を知ることを始めて。 多くの特性の理解と、どうにか出来ること、どうにも出来ないことを知りました。 そして、私は私に出来ることを探し始め。 少しずつではありますが神様とも向き合い始めたのです。 この時に難病を発症しましたが、自身と神様と向き合いはじめて 体が異様な事に気づき病院に行ったところ、幸い軽~中症の内に 発見することが出来ました。

  • 株式会社サンクスラボ 2023年2月 2024年2月

    ・就労継続支援A型 / タレント / 事務(一般事務)・その他 2023年2月 2024年2月

    在宅就労での再就職が決定したこの時の私は、心身ともに比較的安定している時期にありました。 そして、任される仕事を通じてより自身を精密に分かるために自身のデータを収集し始めました。 何をしたらどうなる、どれをしたらそうなるといった事がここで更に明確になりました。 安定して就労を続けるために出来る努力を惜しまず行い。 食生活も改善し、一汁一菜でも安定して栄養と糧が得られる五穀米での生活を選び。 コロナを発症して難病と重なり、体力面で大きく衰退したことで 生活を改善し、就寝と起床を安定させ、死を意識しながら日々を生きるようになりました。 この職場で日々を修行として生活を営みつつ、仕事は仕事として全うする事を意識して 私生活と仕事の両立を成し遂げることが出来ました。 この時既にオラクルカードでの占術を行っていたのですが、 唐突にとあるタロットが目に入り、仕えている方からのご助言で手にとったのが、 私が占術と本格的に向き合うきっかけとなりました。 仕事をこなして、余裕を見ては占術の習得に励み。 修行をこなし、時に神社を巡り祝詞を唱え淀む場を浄め。 時に霊山へと向かい、神様とより近く接することにより、 その声を分かるようになりました。 その結果、私は急激に仕える方々のお姿を捉えるようになり。 同時に声をよく聞くようになりました。 今は亡き師匠に出会い気術を覚え、巫術を神様達から教えられ。 同時に占術の習熟もしながら、巫としてメキメキと成長してゆきました。 出会いと別れ、失敗と成功、哀しみや怒り、楽しみに喜び。 そして、ヒトの悪意や善意と世界の理に触れ、多くを学び知ることで 神様達に私はより近くなりました。 その結果、私は誠を力とすることでヒトではない力も手にしました。 その代償として偽ることができなくなりました。 伏せることは出来ても偽ることをしなくなり、その結果としてバケモノ巫として覚醒し。 より深く巫術や気術を覚え、ヒトならざる穢れを捉え喰らうことが出来るようになりました。 魂の形はヒトをやめましたが、ヒトの中に紛れながら ヒトを助けることをお役目として与えられた頃に。 この場所から、私が巣立つ時が来ました。

  • 占術師兼バケモノ巫 2024年2月 現在

    ・四柱のバケモノ巫 / 四柱のバケモノ巫 2024年2月 現在

    今の私はあとに続く見習い巫様と、神様の刃に選ばれた神兵さんを任されて導いています。 神様からは、前線で穢れと戦う兵であり、後方で魂を助ける巫であるお前が教え導き。 そして、同時にお前自身を見つめ直す修行とすることとお伝えいただいております。 忙しい日々ではありますが、教えると同時に学ぶことも多く。 気づくことも多い日々をおくっています。 最近では、飯綱大明神様から管の本質と扱いを学び。 二匹の私の子も同然の管と、見習い巫様と神兵さんと共に修業を続けながら 見習い巫様と神兵さんが私を必要としなくなるその時まで。 占術でみた予定ではこのままゆけば九十歳で肉体を失うそうなので、 それまでに一人前に育て上げる事をお役目として歩んでおります。 その間にとある節目節目で肉体を失う可能性があるそうですが。 最後は心臓病か脳卒中で肉体を失うそうです。 未熟者ではございますが、肉体ある限り、どうぞよろしくお願いいたします。 この場所にたどり着いた貴方様も幸せでありますように。

学歴

  • エクセラン高等学校 普通科 / 2006年4月 〜 2009年3月

    この頃の私は自身の障害を知りながら、分かった気でいました。 その結果多くの方に迷惑をかけ、助けられながら何とか卒業まで 至ることが出来ました。 この時点では神様の存在も知らず、ただただ障害の苦しみの中でもがき続けていました。 自身への評価も低く、自尊心という言霊とは無縁の頃合いだったと言えます。 ただただ何をやっても駄目であり、普通が出来ない事を嘆き続けていました。

  • 日本電子専門学校 ゲーム研究制作科 / 2009年4月 〜 2011年3月

    この時の私は障害者としてはもっとも愚かなことを行いました。 それは、障害をひた隠しにしてこの場所へと入ったことです。 その結果、当たり前のことが当たり前に出来ないということから クラスの中で浮いた存在となりました。 そして、とある事を切掛に私自身がこの場所で受け入れられることは無い事を知り。 高速落下をしながら休学を申し込み一年間の休養を挟むこととなりました。

  • 日本電子専門学校 グラフィックデザイン科 / 2012年3月 〜 2014年4月

    そこから私自身を見直し、改めて歩むために学科を変えて再び学ぶこととしました。 しかし、この時の私もまた愚かなもので。 障害を担任の先生方にはお話して入ったものの。 比較的特殊な環境の中で何とかやってきましたが。 自己評価の低さからくる劣等感や、 天才と言われる方から笑われたことで、絵筆を取れなくなってしまったのも 大きな転機となりました。 私は、この世界にはいられない。 そう確信して、ここでも先生方に大いに助けていただけた結果。 卒業に至ることが出来ました。 その後は先生の紹介で初めて障害者就労支援施設へと入ることとなりました。