経歴

経歴

  • 土木作業 / アルバイト 1997年3月 1997年4月

    地下街の建設工事で瓦礫や廃材の撤去作業。かなりの肉体労働でしたが、日当がだいたい2万以上で高卒にもかかわらず1ヶ月で50万稼ぎました。

  • カフェの飲食スタッフ / アルバイト 1997年4月 1998年3月

    ニューヨーク系のオシャレなカフェで飛び込みで雇って頂き、飲食の基本を学ぶ。主に学んだのが、アルコール、サラダ、サンドイッチの作り方と販売の仕方です。

  • スキー場リフトスタッフ / アルバイト 1997年12月 1998年3月

    はじめてスキー場スタッフとして勤務。年齢や出身都道府県も違うスタッフ、また外国人留学生スタッフとも交流を深めながら仕事をする。自然の中でやる仕事なので、大自然の厳しさをしりました。また、休憩時間や休みの日は、スタッフと共にスノーボードやスキー場のイベントを楽しみました。長野県のスキー場だったため、シーズン終わりには長野県最大のお祭りである御柱祭りにもいきました。

  • レストラン調理 / アルバイト 1998年4月 1998年9月

    これも飛び込みで応募し採用。いろいろ世代の人が働いており、当時19才でしたが歳下の高校生とかもバリバリ仕事をこなしていました。接客でなかったですが、裏方で調理を任されてました。メニューが多くて覚えるのが大変でした。

  • 毛皮の販売 / アルバイト 1998年9月 1998年9月

    応募した約30名のうち残ったのは自分を含めて3人。内容は自分の知り合いを連れてきて、100万くらいする毛皮を売ること。正直良心の呵責はかなりあったのですが、途中でなげだしたくはなくチャレンジ精神のほうが勝っていたので、母と、友人のお母さんと、学校の先生を連れていき、やりきりました。もちろん、無理に買わなくてもいいことは伝えていました。 やりきった時の達成感は、何ものにも変えれない財産になりました。

  • 荷揚げ屋 / アルバイト 1998年10月 1998年11月

    石こうボードや木材、マンションの家具の搬入などで、これがとにかく肉体的にきつく毎日筋肉痛でしたが、毛皮販売の良心の呵責に比べれば、自分が肉体的にしんどいだけでお金がもらえることがいかにありがたいか実感しました。また、毛皮販売と違って心が傷むこともなく、汗水流して働くことがこんなに素晴らしいと強く感じたことも人生はじめてでした。

  • スキー場スタッフ / ホテル業務全般 1998年12月 1999年2月

    2度目のリゾートバイトで、スキー場のホテルに採用されました。仕事内容は、フロント、飲食、客室、ベッドメイクなどです。総合職みたいなもので1人3役くらいこなしてやってました。一つの仕事をするだけでなく、チームで総合的に取り組む仕事の仕方を覚えました。休憩時間や休みの日は、スノーボードのトレーニングをしたり、別のスキー場にいったりして、 JSBAスノーボード検定1級を取得することができました。当時、働いていたスキー場でインストラクターの人以外で1級を持っていたのは自分だけで、かなり有名になりました。

  • 総合的な専門学校 / ホテル、リゾート科 1997年4月 1999年3月

    ※先にアルバイト歴を書いてしまい前後してすいません。 高校を卒業後ホテルの専門学校にいき、ホテル業務を学ぶ。日々ホテル業務の勉強し、各ホテルに実地研修にいきました。自分は1ヶ月間ベッドメイクの仕事をしました。たまに学校のほうで泊まりの旅行とかもいきました。学校の友人とは、よく飲み会やテニス、Jリーグ観戦などをしていました。 自分の方では、中学、高校は、球技中心のスポーツをやってましたが、高校卒業後、専門学校に入ってから、主にアウトドアに目覚めました。釣りとキャンプは連れて行ってもらっただけですが、主に自分でしていたのは、ビーチバレー、バイクツーリング(北海道含めて東日本一周)、ボディーボード、ボート(小型船舶免許3級を取得しレンタルで3回運転しましたが、怖かったのでそれでやめました)、1番やっていたのはスノーボードです。(また別の機会に書こうと思います。)バイクツーリングだけ話しておくと、まず大阪⇨愛知⇨静岡伊豆一泊し、ボディボード⇨東京のレイボーブリッジを通ってフェリーに乗って北海道釧路⇨摩周湖⇨知床⇨網走⇨稚内⇨礼文島⇨稚内⇨旭川⇨富良野⇨港⇨青森⇨そして日本海側を3日かけて大阪。 後は、自分のホテル、リゾート科ではなかったのですが、別の科の人達とオーストラリア旅行にいきました。 なんだかんだありながら就職活動の時期になりました。自分はまだ氷河期世代ですが、恵まれていたため内定を3社頂き夏までに就職活動を終えて、学校の単位も取り終えて、専門学校の2年目の夏以降は、時間的にはやりたい放題でした。 これは学校ではないですが、自分のほうでカナダのスノーボードのトレーニングキャンプに参加しました。このキャンプに参加することにより、自分のスノーボードの技術を飛躍的に伸ばすことができたした。 カナダのスキー場は広大なスキー場で大自然が広がって景色も圧巻です。その中で国内最も有名なインストラクター(デモンストレーター)から指導を受けてトレーニングキャンプはかなり贅沢でした。帰ってからは、滑りのビデオを見てデモの指導の元ビデオレッスンを受けたり、食事では全国の生徒さんと交流を深めたりしました。いい思い出といいトレーニングキャンプになりました。 なんだかんだあり、無事に学校を卒業してホテルに就職することができました。

  • シティホテル / フロント業務 1999年4月 2000年11月

    入社1ヶ月前はホテルでベッドメイクの研修を受けました。入社式とオリエンテーションが終わってから各ホテルに配属になり、2ヶ月フロントの研修受けました。その後はフロント業務開始になります。 いろんなお客様がこられていて、一般のお客様から、外国のお客様、芸能人のお客様、法人のお客様など様々でしたが、1番の興味をそそられたのは大阪のホテルならではだと思いますが、芸人のお客様が数多くこられていていました。 学生の時のアルバイトと違って、正社員のため大きな責任がありました。1番気を使ったのが当たり前ですが、お金、売上の管理です。これに関しては、本当に徹底されていてミスはほぼ許されませんでした。 フロント業務といってもやることは多岐にわたり、1人2役3役やるのは当たり前でした。 自分の場合は、客室の管理を任されて、2回りくらい離れたベッドメイクの女性スタッフ10人〜20人とやり取りをしていました。正社員として、自分がリードしないといけないので、話しかけたり逆に話しを聞いたりするのですが、はるかに人生経験豊富な女性スタッフをいきなりリードできるわけでもなく、初めのうちはうまくいかなかったのですが、それでもやり続けるうちにリードしていけるようになりました。 休みの日は室内スキー場でスノーボードのトレーニングをしました。入社した年の5月にインストラクターの座学講習を1日受けて、1級からC級インストラクターになりました。B級インストラクターは学科試験と実技試験があるため、まず6月に学科試験を受けて合格。冬になりBインストラクター実技試験にむけてトレーニング。実技試験にはスキー場で単位とらないといけないので、スキー場にいきインストラクターに指導を1日受けて単位取得。そしていよいよ B級インストラクター実技試験のためスキーにいき実技試験開始。各種目を全てこなし結果は残念ながら不合格。でもホテルフロントの仕事もやりながら、休みの日という限られた時間でここまでできたことには満足し、自信もつき、達成感もありました。何人かと知り合いにもなれたので、いい思い出になりました。 冬のシーズンが終わり、ホテルフロント業務に専念すると同時に、アルバイトの方が入ってこられたので、自分も教えることも多々ありましたが、これに関してはスノーボードのインストラクター知識、経験が活かされました。

  • スノーボード活動 / ボランティアインストラクター 2000年12月 2021年3月

    ホテルを退職し本格的にスノーボードの世界にいきました。 まずはじめに2度目のカナダスノーボードトレーニングキャンプに参加。 前回はほぼ初心者状態でしたが、2年たった今回は上級者だったため、より内容の濃いトレーニングになりました。 アルバイト時代にカフェで飲食を学びサンドイッチを作るのが得意だったので、現地で食材を調達して人数分サンドイッチを何種類か作り食べてもらいました。 次に東北のスキー場のインストラクターとして採用されていたのでいきましたが、人間関係がうまくいかずに3週間で断念。人生発の挫折を経験し、いかに自分が人間関係ができていないか思い知らされました。共同生活で四六時中一緒ですが、言い訳になりません。 一旦大阪に帰り反省し、B級インストラクターの学科は合格していて、東北で実技試験を受ける予定になっていたのでそれにむけて出発。途中長野のスキー場で単位を取り東北のスキーに行き実技試験を受けるが結果は不合格。 冬のシーズンは二ヶ月くらい残っていたので、そのまま北上し青函トンネルを通り北海道のニセコのスキー場に1ヶ月くらい滞在しました。 いろいろと知り合いになるうちにインストラクターの資格を持っていることで有名になり、ボランティアインストラクターとして多くの方を教えました。そのうち何人かは、2級試験に向けてつきっきりで教えて1人は合格。 自分はインストラクターで検定員ではなかったのですが、自分が教えている方約10人くらいを仮検定として自分独自の方法、基準で行い、本番の雰囲気に慣れてもらいました。自分も最初はそうでしたが、不合格になるほとんどの人は、雰囲気にのまれ力が発揮できずに落ちるケースが多いので、一発目は大概落ちます。でも仮検定をしたので、教えている方には本番の雰囲気にのまれることなく臨んでいただきました。 後は、自分もトレーニングをしながら、ボランティアインストラクターしながら、またニセコの大自然のスキー場を満喫しました。 ボランティアインストラクターをして強く思ったのは、人に教えることで自分のスキル、能力を飛躍的に伸ばせることを知りました。単純に自分でトレーニングをするより、それをアウトプットして人に教えることにより、より自分の理解を深め実力、能力を高められます。 今思えば、この時期がある意味1番上手かったかもわかりません。

  • 製造業 / 検品兼機械オペレーター 2001年4月 2004年6月

    缶を製造しそれを検品する仕事ですが、やることは工場のライン作業で見て検品するだけの仕事ですが、勤務時間は12時間になりかなりハードな仕事でした。しかも片道1時間半の通勤時間がかかったため、勤務した日は家に帰って食事を取り寝るだけでした。だいたい週6くらい勤務していたのでかなりハードでしたが、次のスノーボードシーズンに向けてかなりお金を貯める必要があり、やるしかありませんでした。 自己都合で仕事は長期間休めましたので、その期間を利用してスノーボードの活動をしました。 はじめはライン作業の検品だけでしたが、2年目からは、何ヶ所かのラインの機械オペレーターも任されました。一つの機械だけではなく同時に2つ3つの機械を見ないといけないので、走り回ることも多々ありました。特に夏場は、密封された工場内は蒸風呂のようになり、その中で走り回ったりしながら12時間勤務はまさに精神修業でした。幸い、社員の方も他スタッフの方もいい方ばかりで、みんなで協力できたことで夏場を乗り切れたことはよかったと思います。

  • スノーボード業界 / スピード競技選手アマチュア 2001年8月 2002年3月

    スノーボードをはじめた当初は、基礎スノーボードと呼ばれるインストラクターの世界中心に活動し、ある程度まで活動したので、いつまでも基礎スノーボードをしていても仕方ないと思い、今度は大会にでるスピード競技、レースの選手に切り替えました。 9月からは、国内で最も有名なスピード競技のプロのヨーロッパトレーニングキャンプに参加する予定でしたので、何度も電話で打ち合わせをしました。 9月に入り関空から出発し行ったのはドイツ、オーストリア、スイスですが、前回のカナダと違い連れて行ってもらったのであまり土地勘はなく、どこに滞在してどこのスキー場だったかよく覚えていません。 はじめてのヨーロッパのスキー場、そしてなれないアルペンボード、半年ぶりのスノーボードでうまく滑れず、傍から見たら初心者みたいに見られたかもわかりません。ペンションに帰りスキー場で撮ったビデオを見てみんなで滑りの勉強しました。もちろんプロの指導の元に。 数日間は順調だったのですが、出発前に放置した足の親指の炎症が酷かったため、途中で滑るのをストップして少し遠方の病院に何回かいきました。3回目で手術をしましたが、しばらく滑ることができませんでした。このままずっといることも出来ましたし、せっかくの出会いを大事にしたいとも思いましたが、今のいつ滑れるようになるかわからない状態でいても進展はないと思い、また怪我人がいつまでもいても気を使わすだけだと思い、3週間で帰る決意をしました。 大阪に帰り完治してから今度はチームに所属し、冬のシーズンはまた別のプロ、そしてチームの人たちと共同生活をしながらスキー場にこもりトレーニングをしました。そこを拠点にして、近辺のスキー場に大会とかでいくことも多々ありました。自分もいくつかの大会に出ましたが、はじめての大会なのであまり成績はいいほうではありませんでした。ただ、プロの大会に同行して多くのプロの方にあい、滑りとかを見れたのはよかったと思います。ヨーロッパキャンプに参加した時のプロも来ていたので、何度か会えてよかったと思っています。 昨シーズンに共同生活の人間関係で失敗、挫折したので、今回はかなり気をつけましたが、それでもあまりうまくいきませんでした。ただ、今回は挫折せず最後までやりきりました。最後の方は、上達したことをある程度認めてもらいました。