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弁護士検索・法律Q&A(法律相談)
心をスッキリして頂きます。 500円〜
どんな事を言っても大丈夫です。 500円〜
両親へのわだかまり 500円〜
夫婦関係の悩み 500円〜
子育て(赤ちゃん編) 500円〜
人間関係の悩み 500円〜
ぐるぐると悩みから抜け出せない悩み 500円〜
☎️「待機中」はいつでもお待ちしています
ライフスタイル・その他 / カウンセラー・コーチ 経験年数 : 1年
ライフスタイル・その他 / 公務員 経験年数 : 6年
ライフスタイル・その他 / その他 経験年数 : 21年
Google スプレッドシート 経験年数 : 1年未満
Canva 経験年数 : 1年未満
・心をスッキリして頂きます。 500円〜
人さまのお話しをじっくり聴くのが得意です。笑顔になられたり、「スッキリした!!」と言って頂いたりします。 遮らずに寄り添い、良い所を発見しながら聴くのが得意です。人はみなしっかり聞いてもらいたいものですよね。自分もそうです。だから私が人にしてもらいたいことを人にしてあげる。そういう風に意識しています。
・どんな事を言っても大丈夫です。 500円〜
人はみな、心の中や頭の中で色んな事を思い、考えるものですよね。この思い方、この考え方は人それぞれで正解はありませんね。 私はあなたがどんな事を言っても否定したり批判したり批評したり矯正したり、ましてや説教したりはありません。どんなお話しにも寄り添ってお聞きします。どんなあなたの思いも考えも認めながらお聞きします。 私にお話しをして下さる。それが嬉しいです。なので安心してお話しして下さいね。
・両親へのわだかまり 500円〜
ご両親に対して、心にわだかまりはないですか?ご両親に対してのわだかまってる思いをお聞きします。 どんな愚痴や不満もそのまま、ありのままのあなたの思いを受け止めます。 否定やジャッジなどはありません。 なぜなら、あなたはご両親に対する寂しさや悲しさ、苦しさ、辛さ、怒りや憤りを抱えてこれまでがんばって生きて来られたのですから。 あなたの心が少しでもときほぐれていったら私は嬉しく思います。
・夫婦関係の悩み 500円〜
夫婦関係は難しいですよね。一番近い存在なのに一番遠く感じてしまったりしませんか? 好きで結婚したのに、わかり合えずにバラバラだと寂しいし虚しいですよね。 そんなお悩み、心の苦しみをお聴きします。 あなたが心が軽くラクになる事が一番です。 悩みながらもがんばってきたあなたは素晴らしいです。心に無理をせず、全て思っている事をまずは吐き出して下さいね。どんな思いも受け止めます。
・子育て(赤ちゃん編) 500円〜
赤ちゃんが生まれて可愛いし、癒されますし嬉しいですよね。でも、毎日の家事や育児で大変・・とため息つく時はないですか?日中は旦那さまはお仕事でいないとか、引っ越しして相談する人がいなかったりすると、寂しさや不安や心細さが襲ってきたりして、きちんと赤ちゃんに向き合えなくなったりしませんか? 子育てはあなたの心が安心できることが一番の最優先事項です。不安なことなど感じていること全て話して下さいね。
・人間関係の悩み 500円〜
あらゆる人間関係で、嫌いな人、苦手な人はいますよね。あなたの心にわだかまりを残さないようにお聞きしています。心の中の円満解決。実際、相談してくれた方は嫌いな人がいて仕事を辞めようかとまで言っていましたが、今は仲良く一緒に仕事をしています。 例え縁が切れても、心の中は円満でいたいはずですよね。心の中にわだかまりを残したくないのではないでしょうか。 愚痴や不満も丁寧にお聴きします。
・ぐるぐると悩みから抜け出せない悩み 500円〜
ぐるぐると結論が出ないお悩みを整理する事と答えを出す事が得意です。それは、私が答えを出すのではなく、あなたがあなたの答えが出てくるようにお聴きしていきます。 これまでに、ご自分から答えが出て、「スッキリした!こうすれば良かったんだ!」と気づきになってさらに行動に拍車がかかられる事があります。心が変われば言葉や行動が変わりますね。
普通自動車第一種運転免許 取得年 : 1988年
日商簿記検定3級 取得年 : 1987年
桜石 さわの人生 1 2025年1月 〜 2025年12月
・桜石 さわの生まれ育った環境① / 誕生〜赤ちゃん〜幼少時代 / その他 2025年1月 〜 2025年12月
※匿名・年齢非公開で活動しているため、実際の期間については非公開とさせて頂きます。「仮想的な数字」であることをご理解ください。 ーーー❇ーーー❇ーーー❇ーーー❇ーーー❇ 私が生まれた家は、祖祖父母、祖父母、父母、姉と兄がいて私は末っ子として生まれました。 家は農業をしていました。 昔は戦争の影響か複雑な家庭が多かったようですが、 我が家も複雑な事情があったようです。 それは後になってわかったことです。 小学生位の時に母から聞いた話しですが、家族で農業を営んでいたので、みんなで田んぼや畑に出ていたのでしょう。 生まれたばかりの赤ちゃんだった私は、一人寝かせられて留守番(?)させられていたようです(;_;) 後に私はすごく心配性、不安性、恐怖心の強い子どもに仕上がってしまった訳ですが (^_^;)、 だいぶ後になって、その理由が、この「一人置いていかれていた」という赤ちゃん時代に起因していたとわかった時がありました。 どこへ行っても心細い、怖い、不安・・そういった感情が小さい頃からありました。 全てではないと思いますが、そうした環境から来るものが心の土台となっていた事がわかった時には驚きました。 でも末っ子だったので可愛がられてもいました。 チヤホヤと可愛がられていたのを覚えています。 私が末っ子だからという事で、姉は特に我慢させられていたのではないかと思います。身内からのお土産などは、いつも私が優先的にかわいい色やデザインの物を選んでいました。 そして気がつけば、「わがまま」などと言われるようになり、自分では全く、なぜそんなことを言われるのかわかりませんでした。 チヤホヤされて勘違いしてしまったのでしょう。 でも、その時の私には全くわかりませんでした。 祖祖父と父はとても厳しく、気質が似ていたのだと思います。 父との最初の記憶は私が2歳頃でしょうか。 祖母が家で飼っていたニワトリ小屋から卵を取って、台所に運んでいた時です。 「さわがやる〜!」と言って、落とすからと止められたにも関わらず、祖母の手から卵の入った容器を取った途端、 父から「落とすぞ!」と怒鳴られ、その後に本当に落として割ってしまったんです(^_^;) すると父が「ほら!言っただろうが!!」とすごい形相で怒鳴り、落としてしまったショックと怒鳴られた怖さとで「わ〜〜〜〜ん!!!」と泣きました。 と同時に幼いながらも「そんなに怒るような事かな・・?」と思った記憶もあります(笑) これが記念すべき(笑)父との最初の記憶になりました(^_^;) 些細なことのようですが、小さかった私には心に深く刻まれてしまいました。 それから、口が悪い子にも仕上がっていました。 威厳があって厳しい祖祖父に悪態をついては祖祖父と口げんかをしていました(笑) 3歳位だったと思います(笑) 3歳位の子を相手に、まともに口げんかしてしまう祖祖父もどうかと思うのですが(笑) まぁそれだけ私は憎たらしいガキだったのでしょう(笑) 両親は農業であまり家にいなかったので私は祖母に面倒をみてもらう事が多く、ばあちゃん子でした。 祖母といると安心でした。 一緒に畑に行き、手伝いをするととても褒めてくれました。 そして頑張ったことを夕食時に両親に報告してくれていました。 そんな時にはちょっと得意げというか、やっぱり嬉しい気持ちでいたことを思い出します。 母の思い出は、2〜3歳位の時に早く目覚めて台所の方に行くと、 母がまだ暗い内から起きて台所仕事をしていた姿を思い出します。 私が起きて来たのに気づいて「あら、もう起きたんね」と声をかけてくれました。 家族が多かったので食事の支度も大変だったと思います。 小さいながらに「お母さん大変だなぁ」と感じていました。 やるしかなかったとはいえ、働き者で頑張り屋さんの母だったと思います。 それから、何か私がしたのか言ったのか?何が原因だったかは覚えていないのですが、 よく、押し入れに入れられる、というのもありました。 父から無理矢理、罰として?押し入れに入れられるのです。 怖さでパニックになりギャンギャン泣き叫びながら抵抗していたのを覚えています。 良く泣く子だったみたいです。 私の激しい性格もあったとは思うのですが、それにしても扱いも酷いですよね(^_^;) 「三つ子の魂百年までも」 とありますが、こうした家庭環境で作られた性格・性質が後々も自分を苦しめる事になろうとは思いもしませんでした。 このようにして、私の魂の修行が始まっていったのだと思います。
桜石 さわの人生 2 1924年1月 〜 1924年1月
・桜石 さわの生まれ育った環境② / 保育園時代 1924年1月 〜 1924年1月
※匿名・年齢非公開で活動しているため、実際の期間については非公開とさせて頂きます。「仮想的な数字」であることをご理解ください。 ーーー❇ーーー❇ーーー❇ーーー❇ーーー❇ さて、保育園時代です。 性格・性質というものがだいぶ出来上がっていました。 初めて保育園に行った時(行かされた時)は良く覚えています。 家から、親から離れ、知らない人ばかりの中に入っていく事がとても不安で恐怖でした。 母はそんな子どもの心まで理解できなかったのでしょう。 初めて行く保育園に母は無理矢理私の手を引っ張って連れて行きました。 私は「嫌だ!嫌だ!」とギャンギャン泣き叫び、全力で抵抗しました。 が、抵抗も虚しく連れて行かれました。 力では大人にかないませんよね(-.-;) その後は友達の中に入れず不安でいっぱいだった私のそばに、近所の一つ上の友達がずっと一緒にいてくれました。 初めて保育園の子ども達の様子を見た時の記憶です。 木のままごとセットがありました。 私は「あれで遊びたい!」と思いましたが、 2つ位年上の大将的な(笑)女の子が中心になって遊んでいるのを見て、「怖い」と思ってままごとで遊ぶのを諦めました。 とにかく初めての保育園は不安と恐怖しかありませんでした(;_;) でも時間が経てば保育園にも慣れて お友達もできて普通に楽しく過ごしていました。 楽しかった思い出は、給食の時間とお昼寝の時間と夏のプールの時間、イベントの芋掘り遠足や運動会、発表会などです。 芋掘り遠足では、うちのさつまいも畑を利用してもらうことになり、先生が発表した時にはみんなに注目され嬉し恥ずかしい気もちでした。 私はかなりの恥ずかしがり屋でもありました。人に注目されたりがとても苦手でした。 でもうちのさつまいも畑が利用される事は誇らしい気もちでした。 あと運動は得意で、運動会のかけっこなどでは良く一等賞を取りました。 祖母が特に褒めてくれました。 両親はどう思っていたのか?表だって 言葉にして褒めてくれた記憶はあまりありません。 それよりも否定、ダメ出し、けなしが多かった(-.-;) その為か自信がなく、皆の後ろについていくような子どもでした。 自信がない事で物事をうまく出来ない、理解できない、ハッキリとものが言えない、といったことにも繋がっていたと思います。 一度はハサミが使えなくて 先生にイヤミを言われながら教えてもらった事がありました。 嫌な思いをしながら聞いていました。 ハッキリとものが言えなかった為に、 歌の時間にオシッコしたくなった時は先生に言い出せなくてとうとうお漏らしをしてしまった事がありました(;_;) みんなに「わ〜〜っ!さわちゃんが・・!!」と騒がれ注目され、とても恥ずかしい思いをしました(;_;) 初めての汚パンツのおみやげを持たされました(笑) あと嬉しかったのは、雨の日には父が農作業ができない為に早めに迎えに来てくれた事です。 窓の外に父の姿が見えた時には「あ!お父さんだ♪」と嬉しくなり、早く家に帰れる嬉しさもあって、ルンルンでした。 でも帰りの車の中で父は私の保育園の様子などを聞いてくれることは一切ありませんでした。 私は父に期待していたのでしょう。 「何して遊んだの?」 「どんな事したの?」 「楽しかった?」 などと聞いて欲しかったのでしょう。 何にも言わず聞いてもくれない父に、その時ハッキリと「お父さんは私の事を愛してくれてないんだ」と感じた事を覚えています。 このことが後々まで自分の人生に影響していたことは、だいぶ後になって気づくことになりました。 すごいなと思ったのは、保育園は結構な距離があったのですが、一人で歩いて通っていたことです。 田舎で人通りもそんなに多くない道を一人で行き帰りしていた。 私は子どもが5〜6歳だった頃、一人でお使いに出す時はとても心配しました。 ご家庭によると思いますが、私は今だったら考えられないと思うので、 本来子どもはたくましいものなんだなと思います。
桜石 さわの人生 3 1924年1月 〜 1924年1月
・桜石 さわの生まれ育った環境③ / 小学校時代 1924年1月 〜 1924年1月
※匿名・年齢非公開で活動しているため、実際の期間については非公開とさせて頂きます。「仮想的な数字」であることをご理解ください。 ーーー❇ーーー❇ーーー❇ーーー❇ーーー❇ 小学校時代です。 姉と地区の子ども達と一緒に学校に通うようになりました。 姉がいてくれたのでそんなに不安は感じなくて済んだんだと思います。 学校で姉や兄、いとこを見かけると嬉しかった。 楽しい先生だったし、普通に楽しかったです。 でもその頃苦痛だったのは給食の時間でした。 その頃にはだいぶ偏食になっていました(^_^;) 給食で出た食べ物を見て「これ食べたくない」と思ったら、「お腹が痛い」と嘘をついて頑なに食べませんでした。 嘘泣きもしました(^_^;) そんなことが何度かあって、その内クラスのみんなも先生もほったらかしにしてくれていました(笑) 実は嘘だとバレていたのかもしれません(^o^;) 家でも親を良く手こずらせていて 相当変わった子だったようです。 親からもそう言われていました。 自分ではなぜそう言われるのかわかりませんでしたけどね。 反発心も強かったので親は扱いづらかったようです(笑) 初恋は小学校2年生の終わりです。 ある日突然夢の中に同じクラスの男子が現れ、それで好きになってしまいました。 背が高くてスポーツマンで顔もイケてました。結構モテていた男子だったと思います。 4年生までは好きな男子も同じクラスで先生も良くて友達もいて楽しく過ごせてました。 地獄に変わってしまったのは小学校5年生のクラス替えの時でした。 担任が中年の厳しい男の先生になりました。 厳しい先生で有名で、お顔つきからして厳しい性格とわかるようなお顔をしていらっしゃいました(*^^*) 隣のクラスは歌の先生で朗らかで明るい女の先生でした。 「あっちのクラスが良かった・・」と これから始まる新学期がお先真っ暗な気分でした(_ _;) クラス替えの後、クラスが違ってしまった友達数人といつものように一緒に帰ろうとそのクラスに行ったら、「クラスが違ったから」という理由で一緒に帰らないと言われました。 「えっ!何それ」とショックでしたが、落ち込みながら寂しく一人で帰りました。 子どもって、時に残酷ですよね。 とはいえ、私も友達をいじめた事もありますから人の事ばかり言えません。 先生は厳しくていつ怒られるかとビクビクしていました。 みんなも先生の前では萎縮していたと思います。 隣の歌の先生のクラスはみんなのびのびしていて楽しそうでした。 みんなの歌声が良く聞こえてきました。 先生がどんな先生かでこうも違うんだ、と 子どもながらに肌で感じていました。 初恋の人はモテていたので、仲の良かった同じクラスの子が好きになって、私にラブレターを渡してと頼んできました。 私はその男子が好きだという事を明かしてなかったんです。 密かに見ているだけでした。 みじめな気もしましたけど、友達のラブレターを渡すのに好きな男子に近づけた事は密かに嬉しかったです。 見ているだけでしたが、その男子の事は中学2年生まで好きでした。 結構一途ですよね(^m^) クラスでは中心的な女子が2人いて、その2人がケンカをすると女子みんなを巻き込んで派閥みたいのができました。 中には2人、そういうのは良くないという正義感に溢れた女子もいたのですが、 他のみんなは中心的な2人には逆らえなかった。 そういうのも面白くなかったし、先生は怖くてこの2年間は地獄でした。 早く時が過ぎればいい。それくらいにしか思っていませんでした。 でもその厳しい先生も、ごくたまに笑顔を見せることがあって、「先生もこんな風に笑うんだ」とちょっとホッとしたのを覚えています。 そういう環境もあって、だんだんと大人しく暗い性格になっていきました。外では。 家では、姉と良く比較されるようになっていました。 私は自己主張が強かった為か 母親から「姉ちゃんは良い子、お前はダメな子」と言われるようになりました。 よその子と比較される事もあり、 この頃から「自分はダメなんだ」と思うようになったと思います。 そして親は決して人前で私達を褒める事はしなかった。 よその親が自分の子を褒めていると呆れていました。 褒められない、認められない、でだんだんと 感情を出さなくなり、あまり何も感じなくなっていました。 自信もなく自分が嫌いで、孤独感や疎外感を感じるようになっていきました。
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