占い&カウンセリング黒主蒼(くろすあお)
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占い&カウンセリング黒主蒼(くろすあお)
占い師•カウンセラー
30代後半男性
  • 本人確認
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  • インボイス発行事業者 未登録
  • 販売実績 18
  • 評価 5.0
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納品ごとの予算目安
  • 占い

    欽天四化派紫薇斗数 3,000円〜

  • 占い

    タロットによる鑑定 3,000円〜

    復縁や禁断の恋愛に関する鑑定 3,000円〜

スケジュール

平日20時〜24時、土日8時〜24時対応可能で...

台湾秘伝の占いである欽天四化派の紫微斗数を使います。今後日本でスタンダードになる占術です。

ご覧いただきありがとうございます。 私は、「占いの本場台湾で、幻と言われている欽天四化派の紫薇斗数」を使って鑑定をしております。 あなたの心に寄り添い、未来への扉を開くお手伝いをさせてください。 あなたの抱える恋愛の悩み、例えば復縁・不倫・結婚の不安など悩みを、命術と卜術を駆使してサポートいたします。 私の占いは、生年月日から導き出す命術に基づいています。単なる気休めの占いではない、あなたの心の支えとなるような本格的なアドバイスをご提案いたします。

出品サービス(2件)

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スキル・知識

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経験職種

ビジネス・クリエイティブツール

  • Adobe Photoshop 経験年数 : 1年

  • Adobe Premiere Pro 経験年数 : 1年

  • Adobe Illustrator 経験年数 : 1年

得意分野

  • ・欽天四化派紫薇斗数 3,000円〜

    日本では四柱推命が有名ですが、占いの本場台湾では紫薇斗数が最も人気があります。その紫薇斗数の中でもまだまだ知られていない幻の占術である「欽天四化派紫薇斗数」での鑑定になります。この占いの強みは、前世からの貴方の課題や、今世のテーマ、親・兄弟・配偶者・子供など近親者との関係、毎年の運勢、結婚についてなど様々なことを知る事ができる事です。特に自分が抱えているカルマを知る事ができるでしょう。

  • ・タロットによる鑑定 3,000円〜

    紫薇斗数・四柱推命の命術と合わせてタロットの鑑定もしております。タロットは遠い未来を当てることは難しいですが、自分の本当の気持ちや相手の気持ち、今自分が何をすべきかなどを教えてくれます。使用するタロットはウェイト版、スプレッドはヘキサグラムとケルト十字を使用して鑑定いたします。紫薇斗数・四柱推命の名術と合わせて使用することで、より精密かつ深い答えを導き出す事ができます。

    ・復縁や禁断の恋愛に関する鑑定 3,000円〜

    恋愛の中でも深刻なお悩みが復縁と、禁断の恋に関するものでしょう。私はこれまで数多くの相談を受けてまいりました。恋愛の運気の波を読み取りながら、どのように行動すべきかを丁寧にお伝えいたします。さらに恋愛運改善のためのアドバイスもお伝えしております。恋愛の運気をあげることで、お相手から連絡が来た、お相手と会うことができたなど喜びの声を多数いただいております。まずは気軽にメッセージください。

語学力

  • 英語 日常会話レベル

ポートフォリオ

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経歴

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職歴

  • 医療機器の商社にてルート営業 2010年4月 2012年3月

    ・営業部 2010年4月 2012年3月

    病院やクリニックに医療機器を卸す商社のルート営業です。 •担当する病院に医療資材の納品、注射器、オムツ、カテーテルなど。医療機器の総合商社として、担当先の病院の医師、看護士の方々気持ちよく仕事できるように確実かつ丁寧に、医療機器を納品しました。 一口に病院といっても、病棟毎に物の配置や納品する場所が違うので、医療現場で働く人の邪魔にならないように工夫しながら、かつ時間をかけすぎないように最短ルートで商品を納入していきました。 先輩に教えられた通りにやるのではなく、このルートで病棟を回った方が効率的ではないか、と自分で考えながら仕事をした結果、10分以上仕事時間が短縮された事があり、先輩から評価されました。 また、注射器やカテーテルなど切らしてはいけない商品でもあるので、在庫の管理には特に気を使いました。一度、透析に関する消耗品を積み忘れた事があり、2時間かけて職場と病院を往復することがありました。 本当に手痛い失敗でしたが、人命が関わっている仕事でしたので、自分が担っている仕事の重さや責任感について改めて考えさせる出来事でした。 この他にも大学を卒業して社会人になりたてだった事もあり、たくさんの失敗を経験しました。今振り返れば社会人として必要な経験を積ませてもらったなと、しみじみ思います。 発注書の管理や細かい事務作業について、自分なりに改善点を見つけて時間短縮をする事が得意だったので、「要領がいいね」と褒められることもたまにあり、小さい事でも改善点はないかと考える癖がついたように思います。 新人として、納品のルートを覚えること、扱っている商材について知ること、取引先や担当の病院の方に顔を覚えてもらうことなど、沢山のことを学んだように思います。 新人のうちは商品の配送、納品がメインの仕事になるので、営業車に効率よく商材を載せるにはどうすればいいか、自分なりに頭を使って工夫をしていました。 その中で先輩の仕事を見ながら、やり方を覚えたり、質問したりすることで徐々に営業のノウハウを身につけていきました。 取引先のクリニックが割高でオムツを購入されていたので、こちらから同等品を提案したところ、非常に喜んでもらえました。それが私の営業でうまく行った初めての経験です。

  • イタリアンレストランでのホールスタッフ 2012年4月 2014年3月

    ・営業部 2012年4月 2014年3月

    イタイリアンレストランのスタッフとして2年間働きました。 20代半ばはイタリアンのホールスタッフとして忙しい日々を過ごしていました。大阪駅にあるレストランだったのですが、有名シェフが監修されていて毎日行列ができるほどの人気店でした。 前菜の盛り付け、配膳、レジ、片付け、食材の搬入の手伝いなど言われたことはなんでも積極的にこなしていました。 一番勉強になったことは、「接客業は自分のメンタルが凹んでいる時も笑顔でお客様に接しないといけない」 ということでした。とにかく笑顔が大切。そういうことを徹底的に学びました。 どのお店にするか迷っているお客様から、 「お店の子の笑顔が気に入ったからここにしたよ。」と言われたことがあり、今でもたまにそのことを思い出します。 お値段以上の仕事をする。そうすればお客さんは喜んでまた来てくれる。そういった商売の一番大切な部分を学んだように思います。 この仕事を通じて、先輩社員とのコミュニケーションの取り方、同僚や後輩に対する情報共有の仕方、特にコミュニケーション能力が鍛えられました。

  • 社労士事務所 事務職 2014年4月 2015年3月

    ・営業 2014年4月 2015年3月

    社労士事務所にて、事務職をしていました。 社労士の事務所にて、給与計算や社労士の先生のコンサルタント業務の補助をしていました。社労士という仕事は普段あまり目にすることはないかもしれませんが、社会で働く人を支える大切な仕事だと実感しました。 コンサルタント業務なので、会社の経営者の方と関わる事が多く、勉強になることがたくさんありました。特に経営哲学というものに触れる事ができたのは自分の中での大きな財産になっています。 稲盛和夫さんの盛和塾に入られている経営者の方とお話しする機会を得ることができました。元々自分は大学で哲学を勉強していたので、儒教に影響されている盛和塾の考え方は非常に馴染みやすいものでした。 ここでお世話になった先生の影響で、儒教や陽明学、安岡正篤先生のことを知りました。人としていかに生きるか、いかに働くかということを学ばせていただいた職場だったと改めて思います。 事務職としては書類の作成や押印など、細かいところへの気配りが求めれる仕事でした。特に丁寧なビジネス文書の作成は私にとって経験のないものでしたので、慣れるまではとても苦労が多かったのを覚えています。

学歴

  • 龍谷大学 文学部 哲学科 / 学士 / 2006年4月 〜 2010年3月

    大学時代に哲学を専攻していたと人に話すと「なぜ哲学を勉強していたのですか?」と人に良く聞かれます。 私の実家は曽祖父が旅館を創業し、家族はとても裕福でした。しかし遺産相続に失敗し、祖父と父の代で財産はほとんどなくなってしまいます。 この時私は「経済学や経営学では一族を救うことはできない」と高校生ながらに考えるようになりました。 祖父や父の落胆する背中を見てきて、 「人として何が大切なのか。」「人生においてどのように判断して行動するべきなのか。」という根本的なところで、揺るぎのないブレない何かをもっていないといけないと強く感じるようになったのです。 そしてその答えを得るために古今東西の偉人、思想家、哲学者の考えを自分の中に取り入れていく必要があると考え、龍谷大学で哲学を勉強することにしました。 そして大学で様々な思想家に触れる中で、ショーペンハウアーと仏教に傾倒していきます。 ショーペンハウアーはニーチェに強い影響を与えた人であり、ドイツの人です。この方はブッダと考え方がとてもよく似ています。 「生きる事は苦しいこと」 「人生はどうにもならないことばかり」 「人生とはどのようなものかを理解して、解脱しよう」 簡単にいうとショーペンハウアーの主張はこのようなものです。 加えて仏教も「諸行無常・諸法無我・一切皆苦・涅槃寂静」を最も大切な真理と位置づけています。 諸行無常は「すべての物事は変化する」 諸行無常は「すべての存在には実体がない」 一切皆苦は「すべての存在は苦しみである」 涅槃寂静は「真理を理解して解脱することが最高の幸福である」 ということです。両者のいうことは、言い回しの違いはあれどほとんど同じことを言っています。 私はこのようにして、ショーペンハウアーとブッダの共通性をテーマに卒業論文を書きました。 当時大学四年生であった私は、 「生きとし生けるものは、逃れられない苦しみを背負っている」というのがショーペンハウアーとブッダに共通するメッセージであることは理解できたのですが、受けれることができなかったのも事実です。 「人生は素晴らしいものであるに違いない」 「人生は価値のあるものに違いない」という自分なりの信念があったからです。 大学を卒業して10年以上経っても、「生きることは苦しみである」と言い切るショーペンハウアーとブッダのことを受け入れる事ができず、自分なりの答えを模索し続けました。 その中でようやく理解できた事があります。意外にもヒントは、生物学者・福岡伸一さんの提唱するコンセプトの中にありました。 大阪万博のシグネチャーパビリオン内に、福岡先生のパビリオン「いのちの動的平衡館」があります。 この動的平衡という概念が「すべての存在は苦しみである」ということを理解する鍵になりました。 動的平衡というのは「生命体が絶え間なく自らを壊しながら、同時に作り変えることで全体として恒常性を保つ状態」を指します。 もっと簡単にいうと、私たちはご飯を食べることで、新しい細胞を作り出し、排泄することによって不要な細胞を破壊し捨てているということです。これは生きていく上で当たり前のことですよね。 しかしこの生命維持のプロセスというのは、想像を絶する数の細胞や細菌類や体の組織の労働の上に成り立っています。つまり身体を維持することそのものが「大きな苦労であり、大きな苦しみ」なのです。 欲しいものが手に入らないから人生は苦しい。 嫌な人に会わないといけないから人生は苦しい。 好きな人の別れが苦しい、とかそういうレベルだけの話ではなかったのです。 生命体が体を維持する時点で、労働・苦労・苦しみは発生してしまっているのです。だからこそ、ブッダは一切皆苦こそ真理、つまり「生きとし生けるものは、苦しみの中にある。生きることは苦そのものである」と説いたのでした。 「人生は苦しいことだらけなら、人として生まれても意味がないではないか」と貴方も私のように思われるかもしれません。 しかし、真理は変えようのないものですが、どのように生きるかは貴方次第です。 私が哲学を学んできたこと、そして30代で占いを学んできたことには意味があると思っています。 紫薇斗数の命盤には、「その人の一生の縮図」が現れます。それとともに、これまで培ってきた哲学の叡智を元に「本当に価値のある鑑定」をしていきたいと思います。 占いが気になった方は、気軽にご質問ください。

  • 兵庫県立洲本高等学校 普通科 / 2004年4月 〜 2006年3月

    出身が兵庫県の淡路島です。洲本高校に通っていました。 島内では進学校だったので、それなりに一生懸命勉強しました。英語や暗記科目は得意だったのですが、数学は苦手でした。今でも数学を勉強しなおしたいと思っています。 中学生までは運動ができる方で足も速かったのですが、高校生になると自分よりガタイのいい男子が増えるようになって運動ではあまり目立つタイプではなかったと思います。 高校一年生の時は部活に入っておらず帰宅部でした。学校の方針として基本的に部活に入らないといけない雰囲気だったので、高校二年生から硬式テニス部に入りました。 硬式テニス部は、中学校の時に軟式テニスをやってた人が入るような感じだったのですが、私は中学校の時は陸上部でした。なので高校二年生から硬式テニスをやるのがとても大変でした。 ラケットも握ったことがないので、とにかく下手。もちろん1軍ではなかったです。玉拾いや雑用も多かったように思います。

  • 生まれてから高校生まで 1988年3月 〜 2004年3月

    兵庫県の淡路島に1988年生まれました。魚座です。 代々庄屋の家系で、お金持ちだったらしいのですが、ひいひいおじいさんの代で博打をした結果、土地や不動産をほとんど失ってしまいました。 そんな家系の9代目長男として生まれてきたので、お金はないけれどプライドだけはある変な子供でした。 小さい頃からスピリチュアルなことに関心があり、 「人は死んだらどうなるのか。」 「生まれ変わりって本当にあるのだろうか。」 などと一人でぐるぐる考えているような、そんな青年時代を過ごしました。 9代目の長男という風に、過度に周りに期待されていたのもあるせいで、色々と気苦労が絶えない子供時代だったように思います。 小学校ではミニバス、中学校では陸上部でした。

評価・感想

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