花のうへにしばしうつろふ夕づく日入るともなしに影きえにけり 永福門院
花鳥のあかぬわかれに春くれてけさよりむかふ夏山の色 西園寺実兼
月や出づる星のひかりの変はるかなすずしき風の夕やみの空 伏見院
ただ一重(ひとへ)うへはこほれる河の面(おも)に濡れぬ木の葉ぞ風にながるる 九条左大臣女(むすめ)
「和歌って難しい」
「約束事が多くて窮屈」
と思っておられる方に、これらの歌は新鮮に映るのではないでしょうか。
これらは「京極派」と呼ばれる和歌グループのメンバーによって詠まれたもの。
“難しくて窮屈で言葉遊びが退屈”と思われがちな“和歌”に、こうした斬新な歌を詠むグループが、鎌倉時代に65年間だけ存在したのでした。
「和歌は難しい」「和歌は言葉遊びが退屈だ」という一般論に対しても言いたい事は山ほどあるのですが(笑)、ここでは置いておきましょう。
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京極派の特徴はいろいろ言われますが、その精神の核は
「心の絶対尊重」
です。
一見耳に優しそうな歌論……その実は?
和歌の約束事に縛られた鎌倉時代の京極派メンバーは、この歌論をどのように歌に反映させたのでしょうか。
京極派和歌を好んで読み、研究者の方々の著作にも触れてきた私が、それらの学びを「京極派プチガイド」と題したPDFにまとめました。
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☆梶間和歌 自己紹介☆
新古今見ざる歌詠みは遺恨のことなり。
2012年、鎌倉時代初期の新古今和歌に衝撃を受け、その世界に没頭。
その後鎌倉・南北朝期の京極派にも心酔。
新古今和歌と京極派和歌の良き読者を増やすことを生涯の仕事とする。
心の友は藤原定家、師は永福門院、光厳院。