私は、小さい頃「人がなぜ生きているのか」がわかりませんでした。
なんで、この世に生を受け、よくわからない事(当時は学校に行くこと)をしているのか。
実は実家はお寺で、幼心にも「死」というものは身近にあるものなんだなと感じていました。
ある日、親戚の葬式に参列しました。
目の前には遺体があり、自分はとても不思議な感覚になりました。
棺桶の向こう側には私の母が泣きながら白い花を添えている情景がありました。
その日より一層「どうして、生きているのだろう」という疑問は強くなるばかり。
しかし、普段の生活をしていくうちにその疑問は消えていきました。
大学生になった頃、海外に興味を持ち始め、イギリス留学をし、ヨーロッパ、アフリカ、南米などを周りました。
世界との違い、そして日本の独特さに気づかされ、そのまま社会人になっていきました。
日本ではテレビ局で仕事をし、毎日残業があるなか、次の日が休みの時は六本木に繰り出し、遊んでばかりいました。
ある夜、クラブで飲めないお酒を飲みすぎて、トイレに駆け込みました。
自分が見たものは血でした。
その瞬間、「死」を意識するようになりました。
結局それはストレスが原因でした。
時を同じくして、実家に帰った時に父の書籍の中にあった分厚い本に出会いました。なぜかその本は白く輝いてた。
その本の登場人物は、時代に嘆き、名声や地位を捨て、一人森へ出ていったのでした。
それがブッダでした。
おこがましいですが、ブッダの考えている一つ一つが心に突き刺さるようでした。
その本を約3日で読み終え、自分は務めていた会社に辞職届を出し、インドへ仏道修行する旅にでかけました。
タイ、ミャンマーの僧院で僧侶とともに生活をし、仏の教えを肌で体験してきました。
僕らはいつ死ぬかわかりません。
しかし、確実なことは死ぬということです。
これは真実です。
死ぬことを考えなくなった社会は明日があり、10年後があります。
しかしそこには、「今」がなくなりました。
最も大事なものを隠してしまっては、人生の意味も意義もありません。
考えるのではなく、受け入れる。
しようとするのではなく、観察する。
もしお読みいただいた方に共感していただいた方はぜひ、ご連絡いただければと思います。