小説「海を夢見た蛙(かわず)ー6

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 何とか自宅へ帰り着くと、先に帰宅していた姉貴とお袋が血相を変えて玄関から飛び出してきた。
「おかえり、春夜、タオファさん!!」
「お母さん、それ大きな声で言っちゃダメ!! とにかく早く入って、二人とも!!」
 母を咎めつつ、姉が叫ぶように言って俺たちを家に入れ、ドアを閉める。深呼吸をし、両手を腰に添えてから、姉は続けた。
「ニュース、見たわよね? タオちゃん、事情は説明してくれる?」
「……ハイ、もちろんでス。心配おかけして、申し訳ございまセン」
 気落ちしたような声と表情で答え、頭を深く下げるタオファさん。謝るのはいいから、と言って姉は彼女をリビングのソファへ促した。
「私、大学の寮住んでいましタ。寮にハ、北京(ベイジン)や成都(チェンドゥ)、西(シー)安(アン)旅行する言ってまス。でも本当ハ、ビザを申請しテ、ホテルと飛行機予約しテ、日本来ましタ。ダッテ、日本行く言ったラ、おじいサン、絶対許してくれませんかラ」
「そう……。でも、どうして行方不明だなんていうニュースになったのかしら」
 淹れた紅茶をテーブルに運びながら、母が呟く。
「そうね、誰かが棗紅(ツァオフォン)にわざわざ報告しない限り、彼女が行方を晦ましたなんて事実はわからないはずだものね。どうやらまだ日本にいるってことはバレてないみたいだけど、中国中を騒がせて、タオちゃんのお祖父さんを困らせて、一体誰が得するっていうのかしら。ライバル企業とか?」
「いや、違う。彼女は今、チャイニーズマフィアに追われているんだ。行方不明というニュースを知らせた奴は、マフィア共から金を受け取って情報を流したんじゃないか?」
「マ、マフィア!?」
 流石に驚いたのか、母と姉の声が重なる。
「ハイ。会場来た人タチ、私知らない人でしタ。私迎えに来る人、いつも同じ。必ズ、おじいサンの側近。でモ、聞いたコトない声でしタ。間違いありませんでス」
「つまり、タオファさんを攫って、身代金を要求しようとしてるってこと……!?」
 母が、目を見開いて言う。タオファさんは、震えながら小さく頷いた。
「そういうことだろうな。こうなったら、今すぐお祖父さんに連絡して、上海に帰って守ってもらうしかない。そうしよう、タオファさん」
「そうしよう、じゃないわよ! アンタも立派にお尋ね者なのよ、春夜!!」
「はっ……どういうことだよ、姉貴!?」
 俺が叫ぶと、彼女はSNSを開いた状態でスマホを突き出した。その画面には、俺たちが盆コミのスペースから逃げ出し、会場がパニックに陥る様子を捉えた動画が再生されていた。それに関する投稿は、もちろんそれだけではない。写真も大量に拡散されており、俺が七夕祈であることまで知れ渡っている。本名が発覚するのは、時間の問題だろう。しかも、俺が前に出て彼女の手を引いて走っている時の動画まで撮影されていた。
「これを見た人たちは、アンタのことをどう思うでしょうね?」
「……棗紅(ツァオフォン)のSPから逃げて、令嬢を連れ去った誘拐犯……」
 誘拐犯、と聞いた途端にティーカップを落とし、膝に紅茶を零してしまった母。ティーカップは、床に落ちて割れた。しかし、誰もそれには反応しない。
「その通り。誤解を解くには、タオちゃんを上海の空港まで護衛するしかないわ」
「ご、護衛!? でも、俺の顔はもうSNSで晒されてんじゃねぇか!!」
 反論するも、姉は余裕の笑みで返す。
「アンタ、私を誰だと思ってんの? コスプレ界で神と称されるほどの実力の持ち主よ?」
「……ま、まさか」
「そう。アンタとタオちゃんには、変装してもらうわ。顔ごとね。そして、タオちゃんは私のパスポートで、天川夕夏として入国してちょうだい」
「エ、でモ、ソンなコトしテ、ダイジョブでスか!?」
 しばらく硬直していたタオファさんが、ようやく我に返って姉に尋ねる。
「大丈夫よ。私とタオちゃん、実は顔立ちが結構似てるからメイクでいくらでも誤魔化せるわ。髪の染料も持ってるし、私の服やバッグのことだって気にしなくていい。春夜、上海から帰る前に私のパスポートをタオちゃんから預かって。それだけでいいから」
 本当は犯罪だけどね、とウインクをしながら姉は言った。どうやら、ニュースを見た直後から色々と対策を練ってくれていたらしい。
「そうと決まったら、大急ぎで準備するわよ!! まず、タオちゃんはシャワーを浴びて体臭を落とす! それから、髪を短く切って金に染めるわ! 春夜、アンタはまずお母さんにバリカンで髪剃ってもらって! それから、あの時のカラコン、まだ持ってるわよね!?」
「あ、ああ!」
 あの時とは、数年前にフランスのアニメフェスに連れていかれ、強制的にコスプレまでさせられた時のことである。お陰で、茶色いカラーコンタクトもパスポートも持っている。中国は、観光で数日滞在するだけならビザは不要なのでそれも問題ない。
「じゃあ、私はタオちゃんがシャワー浴びてる間にアンタのスマホで飛行機のチケット買っておくから! お母さん、なるべく早く頼むわね! 警察が来ちゃったらアウトだから!!」
「え、ええ!!」
 警察、という言葉を聞いた瞬間に立ち上がり、割れたティーカップを放置して新聞紙を取りに行く母。その間、俺は父のバリカンを探し回った。タオファさんは、指示通り風呂場へ直行。姉は既に俺のスマホを素早く操作し始めている。
 俺の髪は球児のように短くなった。それから、念のためと言って姉は染料で俺の尖った髪を茶色に染めた。その作業が終わると、風呂場からタオファさんの声がした。今度はそちらの散髪と髪染めを母が担当する。母はかつて美容師であり、父とは勤め先の美容院で知り合ったそうだ。姉は、染料を俺の髪に馴染ませている間に、俺のメイクをし始める。
「どう? アンタが昔好きだった漫画の主人公に似てるでしょ?」
 最後にカラコンをつけ、鏡で顔を見てみると、俺はすっかり変身を遂げていた。姉の言う通り、小学生の時大好きだったキャラクターにそっくりである。前回のコスプレは気乗りしなかったが、今回はなぜかとても胸が高鳴った。
「あとは、汗拭きシートで体拭いて、さっきと違う服に着替えてきて。それから、香水もつけるわよ」
「こ、香水!? そこまですんのかよ!」
「何言ってんの、アイツらがあんたの体臭覚えてたら変装した意味なくなるでしょ!? 大丈夫よ、私、男性用の香水持ってるから。それ貸したげるわ」
 男性用の香水……つまり、先日の麒麟のコスプレの時に使った、麒麟をイメージして作られた香水のことだ。それはただの公式グッズであって、男性用でも何でもない。だが、臭いを隠す必要はあるかもしれないと渋々納得した。
「夕夏、タオファさんの方準備完了よ!!」
 母が、姉の服を着た短い金髪のタオファさんを連れて来た。眼鏡はかけていないので、持参してきたコンタクトを入れているのだろう。
「よし、ありがと! それじゃあタオちゃん、ここに座って!!」
「ハイ、よろしくお願いしまス!!」
 促されるまま、食卓の椅子に腰掛ける。そんな彼女にメイクを施す姉の姿は、まるでプロのメイクアップアーティストのようだった。
 そして、全ての準備が整った。俺たちはまるで別人のような姿になり、香水をかけ、違う鞄を持って車に乗り込んだ。助手席には母、運転席には姉が座る。
「今から羽田へ向かえば、ギリギリ飛行機には間に合うわ! ちょっと荒い運転になっちゃうかもしれないから、シートベルトはちゃんと締めておいてね!!」
 姉も気が逸っているのだろう、そう言いながら勢いよく車を発進させた。頼むから事故だけは起こさないでくれよ、と俺は心の中で願う。
 しかし、そんな心配とは裏腹に、無事俺たちは羽田空港の駐車場に到着した。車を降り、エレベーターへ向かおうとすると、背後から姉に呼ばれて振り返る。姉は、俺の両肩を掴み、真っ直ぐに俺の目を見て言った。
「春夜。アンタはやればできる子よ。必ず、タオちゃんをお祖父さんのもとまで送り届けられるって、私、信じてるからね。頑張んなさいよ!」
 最後は、ウインクをしながら俺の左肩を軽く叩いた。母は無言で頷くだけだったが、その瞳は慈愛の心に満ちていた。
「……ありがとう、姉貴、お袋。行って来ます!!」
「ユウカサン、ホシエサン、本当にありがとうございましタ!!」
 俺たちは揃って頭を下げ、そして、出発ロビーへ急いだ。搭乗開始時刻まで、あと二十分ほどしかない。
「はぁ……行っちゃったわねぇ。残念だわぁ」
「お母さん、かなり気に入ってたもんね。タオちゃんのこと」
「ええ。もしあの子が、本当に春夜と結婚してくれたら、どんなにいいか……」
「……それ、もしかしたら、現実にかもしれないわね」
「えっ? どういうことよ、夕夏!」
「そういうことよ、お母さん! さ、私たちはとっとと帰りましょ。まだやるべきことが残ってるから!」

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