小説「ニライカナイ」ー4

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「えーっ、台風が発生したぁ!?」
 昼下がりのキャンパスの片隅で大声を上げたのは、遼平だった。
「うん、そうなの。石垣に行く便には乗れそうなんだけど、もうあっちは波浪警報が出てるし、ダイビングはできないと思うわ」
 そう言ったのは、発案者である渚だった。
「そんなぁ、楽しみにしてたのにぃ!!」
 悔しそうに頭を掻きむしる真珠。せっかくセットした髪が台無しよ、と窘める渚。
「それじゃあ、あっちに行ってもほとんど何もできないな。残念だが、キャンセルして大人しく俺たちも台風対策をしよう。こっちにも来るようだからな」
 そう言ってスマホを取り出したのは、篤志だった。冷静に発言する彼を、恨めしそうに睨みつける遼平。
「いいよな、大海?」
「……えっ? あ、ごめん、何の話?」
「お前、こないだからずっと上の空だよな。台風で石垣行きが中止になったって話だよ!」
「あ、そうなの? じゃあ、仕方ないよね。キャンセルしよう」
「……大海。お前、本当に大丈夫か? まだ気になっているのか、あの事件のこと」
「うん……ごめんね、心配かけて」
「気にすんなって、あれはお前のせいなんかじゃねーんだから! 警察も納得してくれたろ?」
「そうだよ、ヒロミちゃん! あれは金城先輩本人が悪いんだから!」
「……うん、ありがとう。二人とも」
 遼平と真珠が懸命に励ましてくれたが、大海が気にしているのは一件目の事故ではなく、二件目の殺人事件の方だった。あの数字が、どうしても犯人の残したメッセージであるような気がしてならないのだ。
 13579、2468……その数字のことばかり考えながら、石垣行きを諦めた同級生たちの後を歩いてキャンパスから寮へ向かっていると、その途中で葬儀の会場を見かけた。新垣家、と書かれた案内板の先に、喪服に身を包んだ人々が集まっている。人々を会場の中へ誘っている人物たちに、大海は見覚えがあった。そこには、経済産業省エネルギー庁で勤務しているはずの新垣(あらがき)武(たけし)と、東京のホテルで清掃の仕事に就いていた喜(き)友名(ゆな)朝(あさ)美(み)の姿があったのだ。
「あれ、武さんに朝美さん……!?」
 気づけば、大海は声を上げていた。それに反応し、相手も驚いた顔をする。
「大海くん! そういえば、琉国の子だって言ってたね」
 琉国とは、琉球国際大学の略称である。
「はい。あの、本日はどなたの葬儀なんですか……?」
「ああ、実はね、妹が七月に亡くなったんだよ。しかも、自殺だったんだ」
「自殺……」
「そうよ。それも、赤ん坊と一緒にね。でも、望まない妊娠だったの。だって、美穂には将来を約束した相手がいたんだから……」
「美穂……!?」
 その名を聞いた途端、大海の脳内にある記憶が蘇った。
『先日、多摩川の土手で発見された、女性の遺体の身元が判明しました。女性の氏名は新垣(あらがき)美穂(みほ)さん、二十四歳、無職。彼女は妊娠していましたが、橋から飛び降り自殺を図ったとみて、警察は捜査を進めています……』
 そうだ、確かにあの時――那覇から羽田へ向かう飛行機の中で、そんなニュースが流れていた。
 そして、武は胸ポケットからあるものを取り出した。それは、みんさー織の模様が刻まれた指輪だった。
「俺は、あいつの近くで働いてたのに……それなのに、助けてやることができなくて、話を聞いてやることすらできなくて……兄貴失格だよ、俺は……!!」
 指輪を握りしめながら、涙を流す武。しかし、大海はそれどころではなくなっていた。
「武さん……この会場に、雅貴さんは来てませんか?」
「雅貴? どうしてそれを……」
「いいから答えて!!」
 両肩を掴まれ、鬼気迫る表情で問い詰められた武。わけもわからず、震える声で答える。
「いや、来てないよ……そういえば変だな、あいつが来ないなんて……」
「……武さん。亡くなった妹さんの誕生日って、もしかして、今日か明日じゃありませんか……!?」
「……き、今日だよ。どうして君がそれを……!?」
 まずい、まずい、まずい――激しい鼓動と冷や汗が止まらない。
「アツシ!! おれだけこれから石垣へ行くから、飛行機とホテルの予約残しといて!!」
「えっ……おい、待て、大海!!」
 制止する声を無視して、走ってモノレールの駅へ向かう大海。彼らが乗る予定だった便は、まだ欠航になっていない。スーツケースを抱え、階段を駆け上がり、息を切らして那覇空港へ急ぐ。
 武が取り出したものは、恐らく彼の妹の遺品だ。そして、それを見た瞬間、大海は全てを理解した。金城親子が殺された、本当の理由とあの数字の意味、そして彼らを殺害した犯人を。
 そして、犯人がこれからどこで何をしようとしているのかも……。
 大海が乗った飛行機は曇天の上を突き進み、無事南(ぱい)ぬ島石垣空港へ着陸した。石垣島の天候は、台風の影響で既に崩れ出している。しかしそんなことには構わず、エントランスを出るなり、大海は大急ぎでタクシーを捕まえた。
「すみません、御(お)神(がん)崎(ざき)までお願いします!!」
「えっ? お客さん、危ないよ、そんなとこ行ったら……」
「いいから早く!!」
 大海の気迫に負け、渋々とアクセルを踏む運転手。島を横切るように進んでいくと、風雨は次第に強くなっていった。
『この指輪を彼女の左手の薬指につけながら、彼女の誕生日に、夕暮れの綺麗な御(お)神(がん)崎(ざき)でプロポーズしたわけさ。僕が大学を出るまで、待っていてくださいね……って』
 沈黙が続く車の中で、大海は彼の言葉を思い出していた。武が取り出した妹の遺品は、間違いなく彼がつけていた指輪と同じものだった。いつの世までも、末永く幸せでありますように――そんな願いを込めて刻まれた、五つと四つの四角で出来たみんさー織の模様。あれは、携帯電話のダイヤルや電卓で13579、2468とそれぞれ打てば出来上がる柄である。
 つまり、あの数字はダイイングメッセージなどではなく、犯人からの伝言だったのだ。どうか、愚かな僕の罪を暴いて欲しいという――。
 タクシーは、三十分ほどで御神崎に到着した。当然ながら、人影はない。岸壁は、高く激しい波に打ちつけられている。
 しかし、激しくなる風雨に負けじと歩みを進めていくと、そこにはやはり彼の後ろ姿があった。
「そんなところで、何をしているんですか……マサさん」
 大海の声を聞き、ゆっくりと振り返る。そこには、いつもと変わらぬ笑顔の雅貴がいた。
「やぁ、大海くん。君こそどうしたの、こんなところまで来て」
「とぼけないでください。わかっているんでしょう、おれがもう全ての謎を解き明かしていることを」
「………」
 そう言うと、雅貴の笑顔が凍りついた。
「あなたなんですよね? 金城先輩と、金城辰成氏を殺したのは」
「どうしてそう思うの? 先輩の件に関しては、どう考えたってただの事故だ。しかも、器材のセッティングをしたのは君じゃないか。せっかく僕が庇ってあげたのに、ひどいこと言うなぁ」
「あなたが庇ってくださったのは、犯人がおれじゃないとわかっていたからです。なぜなら、金城先輩のタンクの空気を移動中に減らしたのはマサさんなんですから」
「………」
 ダイビング用のタンクは、呼吸器との接続部分を僅かに外し、バルブを開ければ中の空気が空中へ排出される仕組みになっている。空気が勢いよく出ていれば当然大きな音が鳴って誰かに気づかれるが、少しずつ減るように静かな音にしていたため、船のエンジン音にかき消されてしまったのだろう。
「それにしたって、僕がやったっていう証拠はどこにもないじゃない?」
「ええ。でも、動機ならあります。最愛の婚約者を強姦して妊娠させた挙句自殺まで追い込んだという、大きな動機がね!」
「……!!」
 雅貴の表情に、動揺の色が垣間見えた。
「あなたがここで数年前にプロポーズした相手は新垣美穂さん、その兄が武さん、お母さんが喜友名朝美さんだ。高橋さんも、理由はわかりませんがあなたの協力者だったんでしょう? そうじゃなければ、長身同士であるあなた方が部屋で入れ替わってあなたが金城辰成氏を殺しに行くことはできませんからね」
「ふぅん……面白いね。聞かせてよ、君の推理を」
「ええ、もちろんです。そのために、ここまで来たんですから」
 挑戦的な笑みを浮かべてから、大海は順を追って説明し始めた。
 まず、雅貴は大海のペットボトルの中に睡眠薬を入れ、わざわざそれを飲むよう促してから風呂に入らせた。湯船に浸かった途端大海が強烈な眠気に襲われたのは、そのためだったのだ。あの時波音から電話がかかっていなかったら、今頃湯船で溺れ死んでいただろう。そうして、雅貴は大海を辰巳殺しの犯人に仕立て上げようとしたのだ。また、自分たちの犯行が目撃されることを防ぐという目的もあったのだろう。
 その間、彼は計画通りルームサービスを頼み、高橋慎吾を呼んだ。慎吾は部屋で制服を雅貴に渡し、雅貴はそれを着て金城辰成の部屋へ向かった。
そして、辰成の部屋に入るなり武がバスローブを雅貴に着せ、ベッドの裏といった人目につかない場所に朝美が隠したダイビングナイフで雅貴は辰成を殺したのだ。返り血の付着したバスローブはすぐに武に渡し、彼はそれを着てから遺体の口元に耳を寄せ、更に血を染み込ませた。そうして、バスローブに付いた返り血は血によって上書きされたのだ。
 再び制服姿になった雅貴は何食わぬ顔で自室へ戻り、クローゼットに隠れて待機していた高橋慎吾に制服を返した。こうして、雅貴の犯行は完了し、同時に『ずっと自分たちの部屋にいた』というアリバイも完成したというわけだ。
「なるほどね。でも、やっぱり証拠がないじゃないか。全部君の憶測に過ぎないよ」
「あなたが今日、美穂さんの葬儀に出席せずにこの場所に来ているのが何よりの証拠ですよ!! 今日は九月四日、美穂さんの誕生日です。つまり、あなたがみんさー模様の指輪を渡して彼女にプロポーズした日だ! あなたは、今日……死ぬつもりで、ここに来たんだ。そうですよね、マサさん!?」
「…………」
 雅貴の顔から、表情が消えた。その瞳は、荒れ狂う水平線を見つめていた。波の音が、一層激しくなってきている。轟音が、今にも彼らを飲み込もうとしている。
「……僕は、君に止めて欲しくて、あのメッセージを残したのかもしれないね……」
「マサさん……」
「でも……もう嫌なんだよ、美穂のいない世界で生きていくのはっ!! 僕は早く美穂に会いたいんだ、美穂のいるニライカナイで!!」
 そう言って、灯台の先へ駆け出す雅貴。それを、必死に追いかける大海。
「マサさんッ!!」
 海へ飛び込もうとした雅貴を、大海は既(すんで)のところで背後から抱きかかえた。
「離せっ、死なせろぉッ!!」
「嫌です、絶対に離しません!! だって、絶対に、こんなの美穂さんだって望んでないはずだから……!!」
「黙れっ、お前に美穂の何がわかる!?」
 必死に振り払おうとしながら叫ぶ雅貴、それに抗う大海。
「わかりません!! でも、きっとおじぃなら……おれの祖父なら、おれが復讐したり自殺したりすることなんて、絶対望まないってことはわかります!! 例えそれが、自分のためだったとしても……いや、自分のためだったら尚更嫌がるはずだ! だって、愛する人にそんなことをさせてしまうなんて、悲しすぎるから……!!」
 言いながら、大海はいつの間にか震え出し、泣き始めていた。脳裏に、大好きだった祖父の面影が蘇ったからだ。
 自分が幼かった頃、いつもキャッチボールをしてくれた祖父。写真に写っていた、かつて甲子園で活躍した若かりし日の勇ましい祖父。縁側に座り、三(さん)線(しん)で島唄を奏でていた祖父。島酒で酔っ払い、踊りながら笑っていた祖父。
 もしも大海が雅貴のようなことをしたら、ニライカナイにいる祖父は何を思うだろうか。きっと、大粒の涙を流しながら、思いっきり大海の頬を叩きに来るに違いない。きっと、美穂も同じ気持ちになっていることだろう。
「……自首しましょう、マサさん。きっと、今のマサさんに会っても、美穂さんはあなたのことを抱きしめてはくれないだろうから……」
「……う、うぅっ……」
 泣き崩れ、大海の腕から解放された雅貴。彼は、自らの腕で自らを抱きしめながら、しばらく肩を震わせながら泣いていた。
「美穂……どうして、何も言ってくれなかったんだ……きれいな体なんかじゃなくたって、俺は美穂のことを嫌ったりなんかしないのに……連絡さえしてくれれば、すぐに東京へ行ってやれたのに……傍にいてやれたのに……力になってやれたのに……どうして、どうして……っ!!」
 しばらくすると、大海を空港から送ってくれた運転手がやって来た。どうやら、心配して様子を見に来てくれたらしい。大海は雅貴の手を取って、八(や)重(え)山(やま)警察署までお願いします、と言って再びタクシーに乗り込んだ。
 雅貴は、ずっと俯いたまま泣いていた。

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