【岩波英知の言葉集】人の力になれる綺麗な生き方を貫くには、泥と毒を受け入れる力が必要

記事
ライフスタイル
人助けとなることをしたい、人の力になりたい、世の中に貢献したい

これをライフワークにしようとする人が多くいます。
これらはとても素晴らしい、そして綺麗な生き方です。

しかし、世の中は世知辛いもので、さらに人間関係もうまくいかないことが多く、綺麗な生き方を望む人ほど、うまくいかないジレンマに陥りやすいです。

理想的な生き方には美しいものがあると同時に、「綺麗な生き方」を目指すあまり、逆に心に毒やマイナスの感情を溜め込んでしまうことがあります。

表面だけの清らかさを追求することで、本当に大切なものを見失ってしまうのです。
これは純粋で繊細で、頑張ってしまう人が陥りやすい罠です。

「汚い生き方」の価値

もちろん、ここで言う「汚い生き方」を勧めるわけではありません。
しかし、極端に清らかであり続けようとすることが、必ずしも最善の方法とは言えません。

例として、清流には魚が住み着かないという話があります。
自然界では、適度な汚れや養分がある水の方が、生命が繁栄しやすいのです。

人間も同じで、ある程度の「毒」や「泥」を含んだ方が、かえって豊かな人生を送れるのです。

毒も知り、泥も知り、世の中は理想だけじゃない。
そういう考えに到れる人が、結果的に理想的な「きれいな生き方」も手に入れるし、より多くの人を自分が疲労することなく救えるようになります。

毒や泥の必要性

現実社会には多くの毒や泥があります。
職場での対立、人間関係の摩擦、思い通りにならない出来事など、私たちの周りには避けられない困難が満ち溢れています。

その中で生き抜くためには、これらの要素を避けるのではなく、受け入れて活用することが重要です。
そのためには覚悟を持つことが必要です。

世の中も人間もそんなもの。
そういったことを受け入れる覚悟があれば、理想と現実のギャップにジレンマを感じることはなくなるし、人を救えるだけの器量と胆力を手に入られます。

そして、その純粋さや繊細な感覚に「覚悟の強さ」「毒を知ったしたたかさ」が加わることで、純粋な自分を社会や他者に潰されることなく貫き通せるようになります。


毒と泥の象徴

毒や泥とは、自分自身のエゴや地の部分、つまり本能的な感情や欲望を指します。

例えば、時には怒りや嫉妬といった負の感情が湧き上がることもあります。
これらの感情は、一見するとネガティブですが、実際には人間として自然な反応です。
それらを無理に抑え込むことで、心の中にストレスが溜まり、逆に不健康な状態になってしまいます。

当然、他者にもそのドロドロとした感情は存在するし、お互い感情を持った人間同士だから、別に騒ぐことはありません。
DALL·E 2024-05-26 14.13.35 - A photorealistic image of a clear and refreshing pure stream with crystal-clear water and fresh air. The stream is surrounded by lush greenery and vib.jpg

毒や泥を受け入れる生き方

理想的な人生を送るためには、毒や泥を避けるのではなく、それらを受け入れ、自分の一部として活かすことが大切です。

毒や泥を避けようとする人は、往々にして不幸に見舞われます。
常に完璧を求め、他人の欠点にばかり目が行ってしまい、結果として自分自身がストレスを抱えることになります。

自分が理想的な存在になろうとするあまり、他者が許せなくなるからです。
みんな自分の思い通りに動いてくれないし、感謝してくれないことも多々あります。

仕事でも他人のミスが許せず、自分で全てを背負い込むことで、限界を超えてしまうことがあります。
脳にゴミが溜まっていくと、本来持っている力を発揮できなくなり、いつの間にか綺麗な生き方が不可能になっていきます。
そこでまた悩みが増えて、悪循環が加速していきます。

人間的で動物的な要素の重要性

毒や泥は、我々の人間的で動物的な要素の象徴です。
これを発揮せずに隠して生きることは、自然の摂理に反するかもしれません。

例えば、感情を押し殺し、常に理性的であろうとすることは、長期的には心身に悪影響を及ぼします。
エゴを小出しに満たし、感情を適度に表現したり自己主張することは、精神的な健康を保つために必要です。

誰もいざというときに助けてくれないし、人を助けたいと思う人ほど、助からない本末転倒な結果に終わってしまいます。

綺麗に生きるための条件

最終的に「綺麗な生き方」を実現するためには、毒や泥を受け入れ、それを糧にして成長することが不可欠です。
完全に清らかな状態を保つことは不可能ですし、それが必ずしも幸せに繋がるわけではありません。

むしろ、適度な汚れや不完全さを抱えながら、それをうまく活かして生きることが、本当の意味での「綺麗な生き方」と言えるでしょう
『毒も喰らわば皿まで』の生き方をしてみてください。

そちらのほうがよっぽど、毒ではなく栄養になります。
毒を入れてしまった、どうしよう…では、自らの脳内で毒を熟成させているものです。

終わりに

どんな人間でも完璧にはなれません。
生きている限り、誰もが心に毒や泥を抱えています。
それを避けるのではなく、受け入れ、活用することで初めて、真に豊かで充実した人生を送ることができるのです。

毒や泥を恐れず、むしろそれを味方にして生きていくことで、あなたの人生はより輝きます。
人生の真の美しさは、完璧な清らかさにあるのではなく、不完全さを受け入れ、それを超越して生きる姿勢にあります。

人を多く助けられる人は、強さと純粋さを兼ね備えています。


【岩波英知】
東京、大阪で心理脳内プログラムを開催。
岩波英知の自分の人生で培われた経験を、『岩波英知の言葉・知恵袋集』として各メディアに発表している。

人の受け売りではない、生の体験で得た経験則を集めた言葉集です。

サービス数40万件のスキルマーケット、あなたにぴったりのサービスを探す