差別と闘った留学生:戦後のアメリカと犬養道子さんの奇跡の実話

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第二次世界大戦が終わったばかりの時代、多くの人々が生き抜くために困難と闘い、互いに理解し合うことが求められていました。この記事では、そんな時代に異国の地で起きた感動的な実話を共有します。主役は一人の日本人女性、犬養道子さんです。

1940年代後半、戦後間もない頃、多くの日本人が反日感情という困難な状況に直面していました。特にアメリカでは、日本との戦争が記憶に新しいため、日本人は頻繁に差別やいじめに遭遇しました。この時期にニューヨークに留学していた犬養さんも、その例外ではありませんでした。

彼女は栄養失調から重病になり、治療のためにニューヨークから遥か離れたモンロビアの病院へ向かうよう指示されました。これは5日間に及ぶ困難な列車の旅を強いられることを意味しました。しかも、彼女が抱えていた食料は3日で尽き、それ以上の食事を買う資金もなかったのです。

しかし、彼女の苦境を見かねた車掌が、自分のサンドイッチを彼女に差し出しました。そして、彼女がモンロビアの病院に向かうことを知ると、彼は大胆な決断を下しました。

それは、特急列車をモンロビアで臨時停車させるという前代未聞の行為でした。彼は電報で鉄道省に連絡を取り、許可を得ました。そして、全ての乗客に向けて、犬養さんのために列車が臨時停車することを放送しました。

翌日、その特急列車はモンロビアに停車しました。犬養さんは静かに列車を降りた瞬間、何か特別なことが起こりました。突然、列車内がざわつき、窓が開き、名刺や住所、電話番号が書かれた紙切れが彼女に向かって飛んできました。それらの紙切れの間には、ドル紙幣が挟まれていました。

「きっと助かるから安心しなさい」
「人の声が聞きたくなったら、私のところに電話をかけてきなさい」
「手紙を書きなさい。寂しかったらいつでも」
「困ったら連絡しておいで」

彼女は周囲の乗客たちから、励ましと愛情を感じ取ることができました。列車が見えなくなるまで、彼女の目は涙で溢れていました。

その後、彼女は病気から3年かけて回復しました。そして、退院の際に、一人の乗客が全ての治療費を匿名で支払ってくれていたことを知りました。

犬養さんの経験は、最も困難な状況下でも、人々の思いやりがどれだけの力を持つかを示しています。また、その経験は、その後彼女が世界の飢餓問題や難民支援活動に尽力する原動力となりました。

この話は、見返りを求めずに、ただ自分にできる範囲で助けを差し伸べることの力を示しています。それが誰かの人生に大きな影響を与え、さらにその影響が広がっていく、それこそが私たちが人として持つべき素晴らしい資質だと私は思います。
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