辛い経験は、そっと手放そう。祈りを込めながら。

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占い
誰かを憎んだことが一回もない。
そんな人は果たしているのでしょうか?

いるとしたら、その人は
憎まれる側に常にいた
のではないでしょうか。それってすごく怖いことですね。

人を憎むこと。
これは、避けて通れない自己保存の観点から、至って当たり前のことと思います。
自分の利益を害する者を忌み嫌うのは当たり前だからです。
簡単な例で言いますと、例えばあなたの手柄を横取りする上司。
不倫して他所の旦那を奪おうとする女性。

楽して、人の成果物を横取りし、自分が評価されようとするその根性を憎らしく思わない人などいるのでしょうか。

しかし、人を憎む経験は、己の心の状態を不健康にしてしまう。
だから、みな忘れたい、と願うのでしょう。

私が思う一番のベストは、静かに速やかにその対象から離れ、ただただ
「神が全てを裁いてくれる」と信じることです。
例えば、悪意があって貴方を傷つけたにしろそうでないにしろ、その人間はその行動が己の利益を最大限にする行動だったのでしょう。
しかし、それもその時だけのもので、次にはまたその者へ新たな障害は発生します。その時に「あなたの時にあなたが黙って去ってくれてうまく濁せた」経験から、再びうまくやろうとする相手、しかしそうは問屋が卸しません。
貴方とは違う相手が相手だからです。
黙って去らずにしつこく粘着し、倍返しするような人間もいます。
もしまたうまくいったとしても、必ず「人の想念」が届き、この傷つけてきた人間の運を大きく損ないます。
人の不幸の上に幸福になろうとする者は、「実力でなかった棚ぼたをせしめてきた」偶然で何とかなっただけなので、本当の意味で幸福にはなれません。他人のふんどしで相撲をとっても、それは実力ではない。
こんなことは、普通に自立して生きている人なら、当たり前のことでも、他人の力を借りて生きているような人(上司に取り入るような人、ぶりっ子して男性から目をかけられようとする女性など)は人を不愉快にしても平気な人です。己の利益を最大化するために、他人を犠牲にしているのですから、そのような性質の人間です、人を不愉快にすることに平気でなければできません。
つまり、ここから、利益を害された人間の恨みを買います。

でも、ずっと通用するはずがありません。
生霊だとか、そういう話ではありません。
なぜなら、いつかどこかで、実力主義の人間が台頭した時、そのトラの威を借る人間は追い詰められるからです。その威を借る人間自体が台頭すれば違うでしょうが、台頭したとしても、敵を増やしてきた人間は、まともに援助してくれる人もおらず、面従腹背など、途方に暮れることが起こることでしょう。
自分の力で頑張らない甘えた人が生きていけるほど、世の中は甘くありません。
これまでの振る舞いを原因とする応報として、どこかで何かの対人力学的な力が働き、それ相応の償いをしなければならないことになる。私はそう思っています。
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