おうおうにして、約束日の前夜はとてつもなく面倒になる

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コラム
ある日。
友人とのチャットにて、○月○日○時から、ランチの約束をする。
これは誰しもが行う日常である。
女子同士である場合、その時点で店まで決まる事も多い。
そしてそれは大抵1ヶ月程先の予定として、スケジュールに組み込まれる。
「○月○日○時〇〇店、○○とランチ」
会えるの楽しみにしてるね♪などと送って締めくくり、実際その時点では1ヶ月後にくるだろうその日を心から楽しみにしているのだ。

だがしかし、約束日の前日にスケジュールアプリからのリマインド通知を見た途端、私の中にとてつもなく大きな負の思いが湧き出してくる。

明日〇〇と会う日か。
め、めんd....(自重)

一月前には会えるの楽しみにしてるね、と自ら送り、あまつさえ音符マークまでつけて高揚感を表現していた自分は、本当にどこに行ってしまったのか。
私は自答する。
そんなはずがない。一昨日くらいまでは確かに楽しみにしていたはずだ。
そうだ、○○ちゃんとイタリアンを食べながら大笑いする自分を想像するのだ。
待ち合わせたらまず久しぶりだねと挨拶をして、メニューからお酒を選び、料理を選び、店員さんを呼んで、注文をする。
けれどその前に電車を乗り継ぐ自分がいる。その前に駅まで歩く自分、服を選ぶ自分、そもそも時間を気にしながら準備をする自分、目覚まし時計を何度も止めながら寝返りを打つ自分...

ああ、めんどくさい、家にいたい、行きたくない。

考えれば考えるほど怠惰な感情に心が占拠されていくのは一体どういう事なのか。
そしてこれは何も今回に限った話ではない。
相手がどんなに仲の良い友人であっても、久々に会う友人であっても、約束する日は確かにうきうきしていたというのに、いざその日を目前に控える段階になると決まって あれ???となるのである。

誤解のないように言っておくと、私は友人のことが好きであるし、こんな怠惰な気持ちを抱いて大変申し訳ないと思ってはいる。が、これはもはや現象とでも言うべきかもしれないどうしようもなさで私を襲ってくる。
その再現性はほぼ100%だ。
つまりこうなることは、誰かと約束をした時点で毎度既にわかっている、と言うのがこの現象の真に恐ろしいところであろうと私は思っている。


しかし案ずることなかれ。
直前まで「約束がなければ家でこのままごろごろできるのに」などと往生際の悪いことを繰り返し考えはするものの、私は毎度きちんと起きて準備をし、電車に乗っている。そして友人との約束を無事遂行、帰宅した私は決まって(それはもう驚くべき再現性を持って)こう思うのだ。

あー楽しかった、また会いたい!


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