今日も生きています♡1度目2度目

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コラム
人生何が起こるか分からないものですが、こうして今日も生きているのでありがたいことだなと思います
と申しますのは、私自身、死にかけた事が3回ほどあるのでございます
皆様も、
”危なかったなー”
”もしかしたら、あのとき死んでいたかも”
なんていう経験の一つや二つおありでしょう?
(え、ないですか?)
私は軽く見積もっても3回ありましたから、みなさまもそんな感じと思っていましたが、、、、


参考になるか分かりませんが、そんな私のつたない
死にかけた出来事を紹介したいと思います
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①最初は中学校時代の話です

当時は自転車通学で、しかも、登校は上り坂、下校は下り坂しかない、山の上の学校に通っていました
毎朝これから学校で勉強というのに、すでに朝から汗だくの毎日でしたが、
しかし、帰りは下りでスイスイとけっこうなスピードを出して帰っていました。そのギャップも毎日のことで、スピードを出すのには、慣れていました。
そんなある日の事、いつものようにスピードを出して下っていると、突然目の前に乗用車が!
こちらもスピードが出ていたものですから、急には停まれません。あわててブレーキをかけたものの、急だったため、タイヤは無残にスリップ。
私は滑ってこけて向かって走ってきた対向車にぶつかる、という出来事があったのです。
自分の記憶が在るのは目の前に走ってる車のタイヤが見えたところまで。
後から話を聞くと私が乗っていた自転車が急ブレーキのあまり滑り、車の下に身体が転がっていき顔面とタイヤが正面衝突したとのことでした。田舎であったため、救急車はすぐ来ない地域でしたが、ぶつかった相手が良い人だったため、すぐに病院に運んでいただけて、事なきを得て生きているんです。

ヘルメットを装着していたのとタイヤと顔の当たり方が良かったため、ひき殺されずにすみました。顔で受け止めて反発したため顔はパンパンに腫れましたが頭や身体などは潰されませんでした。
たいした手術もすることなく、脳みそも無事という奇跡(T_T)
信じられない事にそんな私は一週間ほど学校を休んだだけで、学校に復帰したのでした。
しかし顔には包帯ぐるぐるのミイラ状態の異様な状態で、普通なら、登校するのははばかれるような状態だったにもかかわらず(目しか出てない)、そんな状態で登校したのでした。
奇跡ではありますが異様なその姿はその間、学校の先生からも友達からも不気味がられたのです。(無理もない事)
先生からは何度も『休め』と言われ、友達からも、同情を超えて『休んで』と懇願されたのですが、私は生きてることがうれしくて、登校したのですが
今から思えばちょっとは脳みそに何かしらの影響があって、ハイになってたのかも知れませんね!?その時は周りの目など何も怖くなかったので。

学校の先生周りはどうしていいんだか取り扱いに困ったんだと思います。親は、基本娘の命が無事だったこともあり『うちの子どもの不注意で招いたこと』と思っていたので放任し、好きに登校させてくれました。
顔は、まあ、しばらくパンパンに腫れお岩さん状態でしたが一回ぐちゃぐちゃになったおかげで顔から包帯がとれた時には、前よりは美人になったかもしれません
(ポジティブシンキング)

つまり死にかけた一つ目は
交通事故に遭ったってことです。

でも、これくらいは、まあ、よく聞く話でしょう。
(そうかな?)
皆様も、体験されてる方も多いでしょう
(そうかな?そうかもしれない)

さて次は
二回目に死にかけた話
シンガポールでの危機一髪を書きたいと思います。

お暇な方はご覧ください。↓
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②死にかけた話2番目は海外でのこと。
(シンガポールといいつつ本当はバリ島でした、、、
死にかけた私にはどっちでも良い事ですが)

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大人になってからの話になります
ある一時期にアジアにハマって旅行をしまくっていた時代があります。
その時はシンガポール、バリ島、韓国を
行ったり来たりしてたので、シンガポールだかバリ島だか
分からなくなってましたが、一緒に行った友人に確認すると
死にかけたのはバリ島で、でした。
誤解されないように言いますと
バリ島は素晴らしかったです!
旅行会社から日本語のできるガイドの方もついていただき、快適な旅でした。
いろんな風習も教えてもらい、
バリ島の方は名前が4つもあるとか
3番目の息子はおしなべて”マデ”さんと呼ばれるとか。
たくさんのおしゃべりもし、おいしいナシゴレンや、デンパサールでの買い物、突然のスコール、蒸し暑さ、効き過ぎたエアコン、道路に置かれたお供えの美しい花、痩せた犬たち、バロンダンス、、、
ホテルの中も、花は咲き乱れ、カラフルな鳥は歌い楽園かと思うほどの
楽しい時間でした

そんなバリ島で私と友人はパラセーリングをすることにしたのです。
ホテルのオプションでもついていたのですが、友人が”安く遊ぼう”
というので、おすすめのホテルオプションをやめて、
あやしげな、現地のガイドを格安で交渉し、その場で雇ったのです。
旅行会社の付き添いの親切なガイドさんには
現地でうろうろしてるガイドもどきにはくれぐれも注意”と
言われていたのですが、
安く遊ぼう”という友人の熱意さに勝てなかったのです。

本当に値段はかなり安かったです!
友人は、お金にシビアなので(値切り上手とも言う)
それは海外でも発揮された形でした。
私が横でぼーっとたたずんでる間に、友人の値切りのパッション情熱は一歩も引かず、パラセーリング、シュノーケルなど海の遊びを本当に
低価格で決めたのです。
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早速海に行き、簡単な説明を片言の日本語で受けました。
最初のシュノーケルは、美しい海の中は色とりどりの魚が踊るように泳ぎ
夢のようであった。竜宮城ってこういう景色だったのかもと思うほどに。
その後で、いよいよパラセーリングへ。
今から思えば、私がTVでみたパラセーリングとは明らかに装備が違っていたように思います。
私がTVでみたパラセーリングは二人乗りで、大きなパラシュートにガイドと一緒に乗るタイプだった気もするのですが、
今回は
”パラシュートが小さいので1人ずつ”だということでありました。
初体験の私は、不安がなかったわけではありませんが
先に、友人が乗り、砂浜から船に引っ張ってもらい、ふわーっと、空の上へ上がり優雅に大きな円を描き、もとの砂浜へこともなげに着地し
一切濡れることもない華麗なフライングをみたので簡単だなと思ったのです。
もっとも友人はパラセーリングは他の海外で何回も経験済みでしたから慣れもあったのでしょう。
その間私は、片言の日本語のガイドに
ココを引っ張れば降りられる”という心もとない紐のイラストをみて
説明を受けてはいました。
初心者の私が
ああ、ココを引っ張れば降りられるのね
しか覚えていないのに、空を飛ぶのです。(考えれば危機感がない)。
そして、私の番がきて、友人と同じように空へ飛んだのですが、高く舞い上がったところで”ココを引っ張れば降りられる”という紐を引いても、一向に下がらないのです!!!。
引っ張れど引っ張れど、下がっていかない自分、何周もするボート。紐を引っ張る腕も疲れてきました。ずいぶんと高度も上がり、下を見れば、私の乗っているパラシュートを引っ張るボートが米粒のよう、、、、落ちたら死ぬなという高度です。
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もう、頭の中は、新聞の見出しが浮かんでいます
『邦人、バリ島で安価なガイドのパラセーリングで海の事故』
『パラセーリングで墜落死』
このまま、ボートのガソリンが切れてしまえば失速したパラシュートは落ちて、私は死ぬでしょう
ケチらず、ホテルのちゃんとしたガイドのパラセーリングの説明聞けば良かった、、、と後悔しても後も祭り。辞世の句まで思い浮かんだその時、
ようやく徐々に私のパラシュートは降りはじめ、砂浜にたたきつけられるわけでもなく、、、ラッキーなことにゆっくりと海に落ちたのである。
ずぶ濡れだが、海の中だし、自分は泳げるので、高いところから砂浜に叩き落とされるよりは、まだマシ。
とにかく命は助かったので
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必死で、パラシュートを引っ張りながら自力で岸へと泳いだのでありました。
(いまから思えば、ボートの徐々に速度を遅くしてくれたのだと思う、
それで、私のパラシュートは失速して落ちたのだ)
ガイドは濡れたパラシュートを恨めしそうに見ていたが、怒られはしなかった。
友人によると後から、その現地のガイドは
『あんなにたくさんグルグル回った人は初めてだ、降りたくなかったのか』と言ったらしい。
降りたくなかった訳ではない。降りられなかっただけである。

これが2番目に死にかけた体験の顛末であります
交通事故と比べるとインパクトは小さいかも知れないが
たまたまラッキーだっただけで死んでもおかしくなかったな、と今でも思う

次の死にかけた件は、献血してて良かった、、、
とつくづく思った件になります
後日書き足します
お暇なら、また読んでください
(かみんぐすーん)
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