相手を助けるのは、
「相手が困っているから」じゃなくて。
「困っている相手を助けたら、自分に良いことが返ってくる」から相手を助けるんですか?
「それがしたい」から、するんですか?
「あとで良いことがある」から、するんですか?
あ、お金を稼ぐ。仕事。と言う意味なら別です。
きちんと、労働に見合った対価を頂きましょう。
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『これをすれば己に良いことが返ってくる』
『あとで倍になって返ってくる』
みたいな話って、報酬がないと動かない・やらない。って事ですか?
じゃぁ、それをしてもなんにもならないと知っていたら、最初からしないってことですか?
自分にいいことが返ってくることでしか動かない・やらない。と言うことですか?
相手を助けるのは、
「相手が困っているから」じゃなくて。
「困っている相手を助けたら、自分に良いことが返ってくる」から?
いや、結果、そう言うことにもなるだろう。と言うのはわかります。
そりゃぁ、私だって、いつか報われることはあるだろう。とは思っています。
でも、何か……。
「それがしたい」から、するんですか?
「あとで良いことがある」から、するんですか?
それって、別物ですよね?
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いやわかりますよ。
ここで手伝っておけば恩を売れる。とか。
それをしておけば後で何か貰える。とか。
とりあえずいい印象を持たせておいて損はない。とか。
究極で言うと、お小遣い貰いたいからお小遣いくれる祖父母の家に行く。みたいな。
そう言うものを否定している訳ではありません。
私だってそう言う打算的な気持ちを持つことはあります。
でも、そう言う時って、何かが返ってくると言う可能性が低ければ「やらない」を選択することもあります。
だってそう言う時は、リターンを計算して行動に移しています。←
まぁ、そこで失敗に終わってもいい。と言う気持ちもあります。
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でも「それがしたい」からする時は、
「あとでどうなるか」は考えていないこともあります。
出たとこ勝負で進むしかない。と言うか。
「今」しかないと言うか。
そうなると『これをすれば“己に”良いことが返ってくる』とは言い切れないのです。
結果は出ていないからです。
結果がどうなってもいい。とやっているのです。
それが私の「それがしたい」です。
まぁ、もちろん、究極で言ったら「どうにかはなるだろう」とその気持ちはあります。
すでにその分野は確立されていることだってあるからです。
まぁ、世の中の分野の話で言ったら、すでにある・成功例はある。が前提かもしれません。
それで己が無一文になって路頭に迷う。とか、刑務所に行くことになるとか。そこまで行っても困ります。
また、本当に駄目だったら、何かうまく行かなくなるのだろう。その時は考えよう。と思ってもいます。
実際、そうやって仕事を辞めることになったこともあるからです。
「それがしたい」とはじめてみて、思ったより悪くないのかな? とか。
思っていたよりも反響がよかった。とか。
そう言うこともあります。
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わかりませんね。
まぁ、言っちゃえばプライベートです。
個人の自由です。
「それがしたい」から、するのか。
「あとで良いことがある」から、するのか。
もしかして、
私の話に『それをやってなんになるの?』と聞いてきた人たちは、そこら辺の前提条件が違ったのかもしれません。